『実際のところは、頼朝の指物(読み方:さしもの/意味:武士が戦場で目印のため、よろいの背などにさしたり、お供の者に持たせたりした小旗や飾り物)は白旗のみで、竜胆紋を使っていたという証拠は一切残っていないため、頼朝の使っていた紋どころだったかどうかは不明です』
ごまかすよりも、正直に情報を公開する。お役所には何よりもこの姿勢が大切だろう。分かっていても、なかなかできないことだ。下を向かずに、他の分野でもお願いしますよ、市役所の皆さん。
≪山に入れば修験者気分≫
つい1カ月前には最高気温が30度を超えるほど暑かったのに、最近は吐く息が白くなるほど朝晩の冷え込みがきつい。ぜいたくは言いません。でも、せっかくの散策の季節である。もう少し、鎌倉の秋を楽しませてほしいとは思う。
鎌倉の旧市街には鎌倉幕府跡の石碑が3つある。最初に頼朝が幕府を置いたのが鶴岡八幡宮の東方に位置する大倉幕府跡、そして、北条氏が実権を掌握するようになってから若宮大路の近くに移った宇津宮辻子幕府跡と若宮大路幕府跡。