ここからが戦史の謎。花見艦長は「黒いモノ」が敵だと気付いたとき、とっさの判断で、右へ進路を採る「面舵(おもーかーじ)」と同時に「前進全速」を命令。32ノット(時速60キロ弱)で魚雷艇の右舷に「体当たり」を決行した。
ところが、天霧に座乗していた、天霧が所属する第十一駆逐隊の司令・山代勝守大佐の証言は異なる。山代司令は右脇腹をさらしている魚雷艇の船尾をすり抜けようと考えた。衝突して魚雷艇が搭載している魚雷が衝撃で爆発し、天霧に被害が及ぶ事態が懸念されたからだ。司令は艦の進路を左に採るべく「取舵(とーりかーじ)を採れ」と指示する。しかし直後、花見艦長は「面舵」と、正反対の号令を発した。ただ、すぐ「もどーせー、取舵いっぱい」と言い直す。魚雷艇は右舷を見せたまま、吸い込まれるように天霧の艦首に飛び込んだ。山代司令は「単なる事故」と断じる。
これに対して花見艦長は「司令による『取舵を採れ』は聞いていない」。命令変更もしていないと、否定している。
昨日の敵は今日の友
小欄に判断材料はないが、結果的に花見艦長の判断は正しかったと思量する。至近距離で魚雷が発射されれば、回避は困難だった。しかも、輸送船団の最後尾で警戒中の天霧が航行・戦闘不能に陥れば、魚雷艇は輸送船団に襲いかかっただろう。そもそも、司令は階級上位ではあるが、操艦の責任は艦長が持つ。司令による“回避命令”は逸脱行為だ。