「勝因の一つに、天霧乗組員の応援があったことは、否定できますまい」と主張する名越氏の見立てはこうだ。
「ソロモン海域で死闘を演じた敵が、恩讐(しゅう)を越えて選挙応援する光景は、西部劇を好むアメリカ人には受ける。アメリカの民衆が熱狂的な反響を示したことは当然であった」
しかし、天霧との衝突でしたたかに背中を打ち、さらに悪化を誘発したその後の漂流で、ケネディは拷問のような背中の激痛に生涯を通してまとわり付かれる。既にハーバード大学時代、フットボールで背中を大きく損傷していた。水泳への転向も、背中の激痛故(ゆえ)だった。
この病魔が仕組む苦痛を少しでも紛らわせんと上院議員時代の56年、長い入院生活の合間に、ピューリッツァー賞を受ける大ベストセラーとなる《勇気ある人々》を上梓(し)する。執筆中に、選挙区の狭い責任感から解放され、一地方のための議員に甘んじることなく、大統領への志を最終的に固めたともいわれる。
天霧の乗組員との《絆》と、天霧が与えた《苦痛》。帝國海軍との不思議な縁が、ケネディ大統領誕生に一役買った-と、どうしても思ってしまう。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS)