暗号表は紙製で大小2枚の円盤の周りにそれぞれカタカナが書いてある。直径約10センチの小さい方の円盤を回して文字を変換する仕組み。また、東京の岩倉が九州の戦地や、大阪の大久保利通(1830~78年)らと電報や暗号表など最新技術を駆使して交わした秘密通信文61通もあった。士族反乱が全国に広がらないよう、情報収集していた老練な政治家の息遣いが伝わる。
慶喜の哀訴状は、時代が江戸から明治へとなった1868年、江戸攻撃が8日後に迫った3月7日に官軍に届けられた。「慶喜一身」を罰し「無罪之生民」に苦しみを与えないよう、攻撃中止を求めた内容。当時、回覧のため筆写されたので、内容は知られていたが、直筆は初めて。
博物学の西の拠点
山本読書室は本草学(博物学)の西日本の拠点で、医学や儒学なども教えていた。創立者の山本亡羊(ぼうよう、1778~1859年)の孫、復一(またかず、1840~1912年)が岩倉の秘書で、伝記「岩倉公実記(じっき)」の編集に携わったことから、実記編集用に集めた参照史料など数百点を所蔵していた。既に知られている岩倉関連史料は重要文化財で、専門家は今回の史料も重文級と評価している。