また、道真直筆とされる写経は、山本家の子孫で、京都、奈良両帝室博物館に勤め、正倉院や東洋美術を調査・鑑定した山本規矩三(きくぞう)が所蔵していたものだった。
今回の史料は現在、京都府立総合資料館で一時的に保管されている。
≪岩倉の暗号表 「情報戦」物語る≫
西南戦争の際、岩倉具視(ともみ、1825~83年)が残した秘密通信文61通は、明治政府の情報管理の内幕を伝える画期的な史料だ。各地の不平士族が蜂起しないよう先手を打ち、重大な決断を委ねられた政府ナンバー2の岩倉の存在感が浮き彫りになった。
暗号表は紙に描かれた直径約12センチの円の上に直径約10センチの紙の円盤をのせてある。大小2つの円にそれぞれカタカナが書かれ、円盤を回して5通りに文字を変換する仕組み。「岩倉右府公手許ニ於テ復一カ取扱タル暗号電信表」と岩倉が使ったことが記されていた。
秘密通信文によると、1877(明治10)年春、西南戦争の激戦地・熊本県の田原坂(たばるざか)で攻防戦が始まったころ、宮崎で情報収集した官軍は77年3月3日、軍艦で下関に向け出航。艦長が翌4日に下関から「(一部の士族は)ハンシンアレドモ動カズ(反乱の気持ちはあるが動かない)」と電報を発信した。この情報は4日午後4時すぎに東京の海軍省に届き、岩倉に報告された。