劉生は14人兄弟の9番目という事情もあり、吟香とふれあいの記録はほとんど残っていないが、対照的に劉生と麗子はともに濃密な時間を過ごした。麗子は59(昭和34)年の「芸術新潮」で、「自分(劉生)と私を一緒においたなかで、我が子をも自分の世界にまき込む仕方で教育した。そして私の性質は素直にそれらを吸収した」と回想する。
劉生は麗子について25(大正14)年の自著「図画教育論」(改造社)で、「面白い事に麗子の絵は、私の美術鑑賞上の変遷と可なり歩を同うしてゐる事である。(中略)麗子の絵は著しくその感化をうけ、或る作品の如きは中々立派な味を示している」と、親バカとばかりいえない、高い評価をもらしている。それほど親子は一心同体だった。
幼少期の作品40点
企画展には、主に東京国立近代美術館に所蔵されている麗子の幼少期(5~10歳)の絵約40点がかかり、父親の影響も垣間見られる。幼少期の作品がまとまって公開されるのも初めてという。