僕が初めて吉野山を訪れたのは、2009年の冬。車は雪でスリップし、人影も見えず、ひっそり静まりかえっていた。白い息を吐きながら、金峯山寺を目指す。3体の蔵王権現像は想像をはるかに越えた大きさで、凍てつく空気の向こうに、極彩色の青い顔が荘厳さを増していた。遠くから見ると優しい顔も、近づくと怒っている。両極の顔を持つ不思議な神だ。
その後、僕の興味は、金峯山寺の塔頭である脳天大神(のうてんおおかみ)・龍王院へ向かった。金峯山寺から400段もある長い急な階段を下っていくと、空気が変わるのを肌で感じることができる。瀧の行場があり、神気漂う場所。そのときの空気が、胸の奥の方に今でも残っている。
その年の4月、今度は春の吉野山を訪れた。冬に見た吉野山の姿とは異なり、山全体が桜色に染められ、こちらも元気になるほどの生命力にあふれていた。冬と春、桜の下に積層する史実の数々。表裏のせめぎ合う、一筋縄ではいかない場所だと感じた。