一時的に回復したものの、2年後に、事故で身体が圧迫されたことが原因の「クラッシュ症候群」の進行とともに、その症状からの弊害も併せて首から下の運動機能を奪われた。2、3年間、施設で24時間介護を受けながら、ほとんど寝たきりの生活を送ることになる。医者からは「回復は不可能」と宣告された。しかし、元気さんはあきらめなかった。
本やテレビ番組でさまざまな困難を自分の意思で乗り越えた人たちがいることを知った。「どんな状態に置かれても、自分を信じる気持ちが大切」「努力は必ず形になる」と、元気さんは思ったのだ。耳栓を、取るときはピンセットが必要なほど奥まで突っ込み、一切を遮断して、自分自身に呪文のように唱えた。「治す! 絶対動けるようになる!」と。
不思議な角度で撮影
手足も動かせない状態から、まずは手のひらでグー、パーをすることから始め、毎日、グー、パーが何回できたかを数えた。3万回まで数えたのが約1年。その後、上半身を動かす独自のリハビリで車椅子に移動できるようになった。そして車椅子から松葉づえで立てるように…。