韓国メディアが伝えた生存者の証言によると、4月16日午前8時55分ごろ船が左に傾き、船長ら運航当事者が操縦室で対応に当たった。すでに60度ほど傾いていた船は約40分後、90度に傾いた。この間、船内では「動かず待機」するよう放送が続いた。
救命ボート投下が不可能との報告を受け船長は午前9時40分ごろ、脱出命令を出した。乗客に放送があったのは午前10時15分。船長と航海士約10人はすでに脱出し、救命ボートで救出。救助の際、船長は自ら船長であることを名乗らなかった。船内放送を続けた女性乗務員(22)は死亡した。
波紋を広げているのが、船長による10年前の発言だ。
韓国・済州島の新聞(2004年元日付)に船長のインタビューが掲載されている。この中で船長は「初めて乗った船が沖縄近海で転覆し、自衛隊がヘリコプターで救助してくれた。あの時、救助されなかったら、今の私はなかった」と語っている。