矛盾きわまったら
しかし、そして、設定がないと生きていかれないから、その矛盾をなんとかするためにまた別の角度から設定をする、というのはもっぱら小説家がやってきた仕事である。
それはでも、例えば、ゴア、というのは、「マグマ大使」に出てくる悪い人だが、その設定の矛盾をそのままに、ゴアにはゴアの悲しみがある、みたいなことを描いてお茶を濁し、悪も正義も、悪と正義があると設定したことも笑いものにして優越感に浸る、という退廃的なもので、設定の矛盾はそのまま放置されて、生きる気色の悪さ、甘えた言い方で言うと、生きづらさ、のようなものが人間の中でヌラヌラする。それをなんとかするために、もの凄く乱暴で、単純な設定も一方で作られて、それに狂熱すると楽なので狂熱することもあり、その一方で負債はふくれあがり、債務超過のようなことになっているような感覚もある。
木下古栗の、『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』は、とりあえずその矛盾きわまり、これまでの規範を失った地点から書かれ、そして激烈におもしろい。向後、小説はすべてこの地点から書かれるべきである、と読み狂人は思った。作者に言葉についての天賦の才ありとも。