5月18日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)貿易相会合の閉幕後、共同記者会見する各国の閣僚たち。前列中央が中国の高虎城商務相、2列目左端が茂木(もてぎ)敏充経済産業相。2人は前日に会談し、高氏は「日本との経済関係を重視しており、協力を発展させたい」と述べた=2014年、中国・山東省青島市(共同)【拡大】
ボールは日本側に
本心がどこにあったかは別として、「二分法」を方便として対日強硬派を抑えて、80年代の改革開放路線以後、日本企業の相次ぐ工場進出や雇用創出、技術供与に加え、巨額の政府開発援助(ODA)を引き出して、日中関係が発展する原動力になったのは事実。
いま再び、軍部も含む習政権内部の強硬派の“主戦論”をなだめ、経済面で日本から実利を引き出すためには、毛沢東の名まで引き合いに出す「二分法」による「政経分離」を掲げることが得策との判断が働いたようだ。戦術を理解した上でどう反応すべきか。駆け引きのボールは日本側に投げられている。(上海 河崎真澄/SANKEI EXPRESS)
■二分法 「共通の敵を打倒するため、連合できる諸勢力と共闘する」との毛沢東の理論から、中国共産党が「日本の軍国主義者」とみなす層と「日本の一般国民」を区分して扱った対日外交政策。1972年の日中国交正常化で中国内の反日感情を抑制し、日本からの支援を得るための説明に使われたが、その後、靖国神社にいわゆるA級戦犯が合祀されたことで、「日本の指導者(首脳)による靖国参拝を認めてしまうと中国では72年の国内説明に矛盾が生じる」(中国の有識者)結果となった。過去10年近く、靖国問題を契機に中国では日本の一般国民まで敵視する反日デモが頻発し、対日政策として事実上機能しなくなっていた。