「慰安婦問題どう伝えたか_読者の疑問に答えます」と題した2014年8月5日付の朝日新聞紙面(矢島康弘撮影)【拡大】
その頃の日韓、日朝関連の報道といえば、韓国政府による国内言論弾圧、北朝鮮による祖国帰還活動などが主たるもので、筆者も76年に開催されたアジア卓球選手権大会で平壌を訪れた際、帰還した元在日の人から日本の家族への手紙を託され、宣伝されていた「楽園」における言論の不自由さに驚いた。
当時の日本メディアの報道には、いかにして南北両国と友好関係を築くかという姿勢に一貫性があった。
2003年にNHKが放映した韓国ドラマ「冬のソナタ」をきっかけに韓流ブームが起きた。翌年、筆者はソウルから車で1時間ほどのところにある元慰安婦の民間居住施設「ナヌムの家」を訪ねた。
その時、彼女たちから聞いた言葉は日本政府への怒りだけではなく、韓国政府も自分たちの話を直接聞こうとしない、自分たちは両国政府の犠牲者であると嘆くものであった。この頃の韓国政府は、彼女たちに政治的利用価値を認めず、冷淡だったわけである。
その10年前の1993年に産経大阪本社版夕刊に「人権考」と題した連載記事が掲載され、吉田氏による韓国訪問について、「終わらぬ謝罪行脚」と題して報じている。そこでは吉田氏の証言内容について疑問も記されていたが、好意的な報道であった。連載記事としてすばらしく、筆者が審査員の一人を務める「坂田記念ジャーナリズム財団」で賞を贈った。