英医学誌に掲載されたリチャード3世(1452~85年)の頭蓋骨の写真。傷は頭部に9つ確認されたが、後頭部に大きく開いた2つの傷が致命傷となった(AP)【拡大】
論文では、このうち2つが致命傷になったとしている。レスター大のサラ・ヘインズワース教授はBBCの取材に対し、「リチャード3世はその傷の具合から、息つく間のない連続的な攻撃、もしくは複数の敵による攻撃を受けた可能性が大きい。殺害されたときに頭にかぶとは被っていなかったが、手や腕に防御した際にできる傷がないことから、よろいは着ていたと推測できる」と語った。
研究チームの病理学者であるレスター大のガイ・ルティ氏もBBCに「致命傷は中世後期のやりか刀によって後頭部に受けた2つの傷で、歴史上言われているようにぬかるみにはまって落馬し、敵と戦っている最中に殺されたことを示すものだ」と説明。複数の敵と交戦中の死である可能性が高いと言及した。臀部(でんぶ)とあばら骨にある傷は死後によろいをはがされ、付けられたとみられるという。
醜い男に描かれ
シェークスピアの戯曲では、リチャード3世は王位への野心から、兄のエドワード4世(1442~83年)が病に倒れると、権謀術数を駆使して兄弟や親類を次々にロンドン塔に幽閉して暗殺。自ら王となるが、反乱によりフランスから侵入してきたリッチモンド伯(後のヘンリー7世)に敗れ、在位わずか26カ月、32歳で死亡した。