英医学誌に掲載されたリチャード3世(1452~85年)の頭蓋骨の写真。傷は頭部に9つ確認されたが、後頭部に大きく開いた2つの傷が致命傷となった(AP)【拡大】
シェークスピアはリチャード3世を背骨が大きく曲がってこぶがあり、足を引きずる醜悪な容姿の人物として描いたが、今年5月には遺骨の鑑定結果から、背骨が曲がる脊柱後湾の症状はあったものの重度ではなく、衣服で隠れる程度だったことが判明。戯曲では、生への執着から死に際し「馬をくれ、馬を! 代わりにわが王国をくれてやる!」と語ったせりふが有名だが、実際には最後まで戦って死亡した可能性が大きい。
同君連合の礎
一方、ボズワースの戦いでリチャード3世を破ってテューダー朝初代のイングランド王となったヘンリー7世は、リチャード3世のめいにあたるエリザベス・オブ・ヨークと結婚して王位を固め、戦争による混乱を終結。スコットランド王国と平和条約を結んで娘のマーガレット王女をスコットランド王ジェームズ4世に嫁がせた。後にイングランド王朝の皇統が途絶えたため、スコットランド王を迎えて両国が同じ君主をいただく同君連合につながっていくことになり、1707年に両国の議会が統一されて一つの国家になった。スコットランド独立を問う住民投票は19日、否決されたが、ときをほぼ同じくしてのリチャード3世にまつわる新発見はどこか因縁めいてもいる。(SANKEI EXPRESS)