2002年、鈴木宗男事件に筆者が連座したとき、現役時代に筆者と親しい関係にあった一部のOB大使は筆者を名指しで非難し、大多数のOB大使が「佐藤優など知らない」という態度を取った。そのとき、岡崎氏は、「佐藤君は情報・分析の専門家としてしっかりしている」と擁護してくださった。そのことを筆者は今でも感謝している。
筆者が05年3月に著書『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を出版した直後、虎ノ門の交差点で「佐藤優君じゃないか」と背後から声をかけられた。振り向くと岡崎氏だった。「君の書いた本を読んだよ。よく書けている。それから、新聞や雑誌のインタビューや寄稿も読んだが、論壇で十分やっていけるよ」と言われた。筆者は、「バッシングの嵐の中で、岡崎大使が私を擁護してくださったことに感謝しています。お礼の手紙も書かずに失礼しました」と答えた。岡崎氏は、「僕は当たり前の対応をしただけだよ。君は日米同盟強化という外交の基本線を外したことは一度もない。ロシアとの関係で君のことをいろいろ言う人がいたが、僕は君の言うことに説得力があると思った。そうだ、今度、一緒に焼き鳥を食べよう。事務所のそばにおいしい焼鳥屋があるんだ」と誘われた。筆者は、「もう少し気持ちの整理がついてからにします」と答えた。