ジョルジョ・デ・キリコ「謎めいた憂愁」(1919年、パリ市立近代美術館、提供写真)。(C)Musee_d’Art_Moderne_de_la_Ville_de_Paris/Roger-Viollet_c_SIAE,Roma&JASPAR,Tokyo,2014_E1284【拡大】
例えば胸像は、古代ギリシャの航海や能弁の神・エルメスで、友人で前年に他界した詩人アポリネールの霊を冥府に導かせるために描いたともいわれるが、真意は定かでない。しかも、箱の形は奇妙にゆがみ、床面、棒、箱、壁などの位置関係も、垂直や平行に描かれず、見る者の不安を呼び覚ます。
魅力的に見えてくる
イタリア人が両親のデ・キリコは、鉄道技師の父親の勤務地ギリシャで生まれた。17歳で父親が死ぬと、母、弟とともにドイツのミュンヘンで暮らし、美術を学ぶ。この3年間に、ニーチェやショーペンハウアーらの哲学やドイツのロマン主義、表現主義の画家から影響を受けた。23歳のときパリでデビューし、形而上絵画が衝撃を持って迎えられ、若くして高い評価を得た。
そうした“多国籍”で複層的といえる生い立ちや思想形成から生まれた形而上絵画は、本人が「自分の絵を理解できるのは世界に2、3人しかいない」と豪語したように、一般人が意図や内容を十分に理解するのは至難の業だろう。