全てのせりふ排す
キム監督は全編にわたって役者のせりふを排し、感情表現といえば、せいぜい「笑う」「泣く」「叫ぶ」を見かける程度だ。「お客さんが役者の行動や表情だけでちゃんと物語を理解できるのかを知りたくなりました。冒険してみたかったんですよ。もう一つの理由は、お客さんが自分なりにせりふを考えながら、作品を楽しんでくれたら面白いと思ったからです」。キム監督はこれまでにも「うつせみ」「魚と寝る女」「悪い男」「春夏秋冬そして春」といった一部せりふがない作品を撮ってきた。「せりふが少ない方がかえって映画が伝えたい真実を理解してもらえる場合があります。せりふがあることで、どうしても嘘が混じってしまう気もします。でも、行動だけを見せれば、そこに嘘はありません」。表現者としての実感だ。
しかし、なぜペニスなのか? 「実際に体と心で感じたこと、この目で見た社会の矛盾、人間の苦しみ」に映画の題材を求めてきたキム監督はこんな説明してみせた。「男である私はふと思ったんです。ペニスは人間の欲望のはけ口としての機能以外にもきっと何か意味があるんだと。つまり、自分の家族と関係づけてくれたり、巨視的に捉えれば、全人類とも結びつけてくれる、大切な『鍵』なのかもしれないとね。すべての人間はペニスを介してどこまでも一つの線でつながっている-というイメージが浮かびました。僕はタイトルのメビウスにそんな意味を込めたんです」