岐路が訪れたのは、きれいに光る窒素ガリウムの微小結晶に気づき、「カギは結晶成長にある」と確信したときだった。当時、大学院生だった天野教授と悪戦苦闘を繰り返した末、1973年の研究開始から12年後の85年、天野教授が無色透明のきれいな結晶の生成に成功した。赤崎教授は「(成功は)度重なる失敗を乗り越えた天野君たちの執念のたまものだった」と教え子の献身をたたえた。
世界初の青色LEDを実現した瞬間について、赤崎教授は「この結晶を目にした時の感動は今も忘れることができない。目にしみるような青色の光は、私の研究人生の中で最も思い出深い出来事の一つだった」と感慨をこめた。
体調に不安を抱え、ストックホルム入りしてからも大事を取っていた赤崎教授。椅子に腰掛けたままの講演となったが、しっかりした口調で時折、会場に目をやりながら大学の講義のように話した。
実験装置手作り
対照的に天野教授はトレードマークの腰ポーチをつけ、壇上を歩き回りながら身ぶり手ぶりを交えて講演を行った。「ここにいるのが信じられない」と興奮気味だったが、赤崎教授のもとで青色LEDの研究を始めたときのことを「世界を変える。簡単だと思っていた」と打ち明け、笑いを誘った。