正倉院宝物の染織品の色彩的な美しさ、技術の高さは筆舌に尽くしがたい。なかでも「花樹双鳥文夾纈(かじゅそうちょうもんきょうけち)」という一枚の裂(きれ)は、藍(あい)、刈安(かりやす)、茜(あかね)の染料で見事に染め分けられており、いまだにその技術の全貌は解明されていない。京都の染織史家で、「染司(そめのつかさ)よしおか」5代目当主・吉岡幸雄(さちお)氏は、この難題に挑み続けている。
夾纈の「夾(きょう)」は挟む、「纈(けち)」は水をはじくという意味で、文様を彫った2枚の板で布を挟み、染料を染み込ませることで文様を生み出す。「夾纈」の技法は手が込んでおり、日本では平安時代の中頃、中国では明の時代、その発祥地とされるインドでさえも18世紀以降は途絶えていた。
この「夾纈」の解明は、吉岡氏の先代にあたる父・常雄氏から続く課題で、当時は渋型紙を用いて染めたという学説が有力だった。しかし先代は、染色史家の山辺知行氏がインドのアーメダバードで文様が彫られた版木を見たと聞き、自説に確信を持ち、実践的な研究に打ち込んだ。先代がこの世を去ったあと、吉岡氏は先代の右腕として修業を積んでいた福田伝次氏とともに、「夾纈」を一からやり直そうと決意する。