現在は墳丘に樹木が密集しているが、撮影時は木がまばらで、特異な4段構造の墳丘や埋葬施設を覆ったとみられる後円部頂上の巨大な円壇(直径45メートル、高さ5メートル)がくっきり。「箸墓は昼は人が造り、夜は神が造る」という「日本書紀」の記述をほうふつさせた。
9000年前の人骨か
沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で、約2万3000~2万年前(後期旧石器時代)に貝で作った鋭利な道具やアクセサリーが出土。さらに9000年前より古い地層から、人骨も発掘された。複数の石に覆われており、国内最古級の埋葬例だった可能性があるという。旧石器時代の貝製品は中東や地中海、中国などで見つかっているが、国内では初。加工しやすい石が少ない沖縄県では、本州の石器に対し、貝を使った独自の文化が発展していたようだ。
一方、縄文時代前期の人骨が91体も出土した富山市の小竹貝塚(約6800年~5500年前)ではミトコンドリアDNAの分析で、ロシアから北海道にみられる北方系と、東南アジアから中国南部に多い南方系の人々が一緒に暮らしていたことが分かった。日本人の祖先を探る今後の調査が注目される。