奈良県明日香村の都塚古墳(6世紀後半)が、石を階段状に積み上げた国内に例のないピラミッド形の方墳と判明した。一辺約40メートルで、当時の天皇陵に匹敵する規模だ。4~5世紀の中国や朝鮮半島の王族墓との類似点が指摘され、仏教を保護するなど外来文化の受容に積極的だった大豪族・蘇我稲目の墓との説も浮上している。
残念なニュースもあった。文化庁はカビなどによる劣化が進み、石室を解体して修復中の国宝、高松塚古墳壁画(奈良県明日香村、7世紀末~8世紀初め)を現地に戻すことを事実上断念した。カビなどを抑制する技術を確立できず、劣化した石材を石室の形に組み直すことも難しいためで、古墳外で保存、公開することを決めた。今後は新たな保存施設が課題になる。
社会情勢や人々の暮らしぶりを知る文字史料も報告された。
京都市の平安京跡では2011年に、貴族の藤原良相邸宅跡で最古級の平仮名を記した土器片(9世紀後半)が出土。判読が困難で意味がよく分かっていなかったが、勅撰和歌集「古今和歌集」にある「幾世しも」の歌-とする新説が発表された。文字の練習に和歌を書いたとみられ、平仮名の成立過程を知る手掛かりになりそうだ。(SANKEI EXPRESS)