そのため、口に運ぶまでに余計なことを考えずに済む。味を感じるころには、職人の技の深さと自然の豊かさが“応える側”の意思として広がる。そして、われわれが“望む側”として望むモノを提供された喜びを知るのだ。私は、自分の中で無意識に定義づけられていた“お干菓子とはこういったもの”という概念を良い意味で裏切られた。これは、良き品に出合う中でしばしばある体験だ。そしてこの“裏切り”により本質と向き合う機会を得ることができる。それは、われわれが歴史的積み重ねに触れるコトであり、日本の美意識を感じる瞬間でもある。
鈴懸は長い歴史を有するが、とはいっても何百年もの歴史を持つという和菓子屋ではない。しかし、その品には何百年もの間継承されてきた日本の美意識と技術の継承を感じることができる。こうしてつながっていく存在全てに言えることは、品質そのものに必要とされるだけの価値があるということだ。