演出に関するローチ監督の注文は実にシンプルなものだった。「僕(ウォード)は農村ではなく、大都市ダブリンの郊外で生まれました。幼少時代はやわな子供でしたよ。だからローチ監督は『手のひらにたこができるほど畑仕事に打ち込んでほしい』と言うんです。彼が僕に出した唯一の具体的な指示です。僕は自分の手のひらをごっつくすることに精力を注ぎました。撮影中はいつも指と爪の間に泥が入っているように準備しておきました。ジミーが(対立する)神父に『僕は学者ではない』と手を見せるシーンがあるので、ちょっと注目してみてください」
教会の権力いまも
本作では、地域住民の日常生活の隅々に至るまで口を挟み、さらには国家と緊密に結びついて窮屈極まりない社会規範を構築していこうと躍起になるカトリック教会の姿が描かれている。アイルランド生まれのウォードに現在の様子を聞いてみると、「作品に描かれた時代から約80年もたちますが、依然として教会は社会全般に幅を利かしています。教会に取り入る政治家もいます。テレビ局は社会で起きた諸問題について判断するとき、結局は教会にお伺いをたててしまうことも見受けられます。国民は国家的な洗脳を受けているといえるかもしれません」。ただ、インターネット社会を迎え、人々の価値観が多様化してきたこともあり、ウォードは教会の“権力掌握”に疑問を投げかける人々が多くなったとも感じている。