幹部会議の直前には、農協改革の法案検討プロジェクトチーム(PT、吉川貴盛座長)の会合が党本部で開かれた。若手からベテランまで集まった会合は、本格的な党内議論のキックオフとなったが、「なぜ監査権をなくせば農家の所得が増えるのか」「経済合理性だけで考えてはいけない」「中央会制度は維持すべきだ」と改革への批判が噴出した。
昭和40(1965)年代に580万人を超えた農協の正組合員は、2012年に約461万人にまで落ち込んだ。それでも、選挙での農協の影響力は無視できない。会合では「改革を急ぎすぎると、来年の参院選がどうなるか分からない」と農協の反発を懸念する声も上がった。
日頃は強気な発言も多い稲田氏だが、この日ばかりは周囲に「賛成意見が出ないのは、さびしいなあ…」とつぶやいた。
首相と党とのはざま
弁護士として「靖国裁判」や「百人斬り訴訟」に取り組んでいた稲田氏を05年に政界に引き込んだのは当時、党幹事長代理を務めていた安倍首相だった。稲田氏への信頼は厚く、第2次安倍政権では衆院当選3回だった稲田氏を行政改革担当相に起用した。稲田氏も首相の期待に応え、霞が関の抵抗が激しかった公務員制度改革を成し遂げた。