2008年3月31日、北京五輪を前にギリシャから北京空港に到着した聖火(中央)を出迎えた、党政治局常務委員時代の周永康氏(中央左)。権勢をほしいままにした周氏だが、その失脚に「連座」する形で2015年2月9日、四川省の大富豪ら5人に死刑が執行された(共同)【拡大】
中国ではビジネスを展開するのに、政治家と密接な関係をつくらなければ何もできないといわれる。反対に大物政治家を後ろ盾にすれば、許認可や融資などが容易に得られ、違法行為に及んでも警察に逮捕される心配すらない。しかし、後ろ盾の政治家が失脚すれば、間違いなく連座して粛清される。欧米や日本では財界人の犯罪といえば、贈賄や脱税などが多く、刑事責任を問われても刑務所暮らし数年程度で済む場合がほとんどだ。しかし、中国では命まで取られる。9日は劉氏とともに、一緒に企業経営をしていた弟の劉維氏(45)と、漢竜グループ幹部3人の計5人の死刑が執行された。テレビカメラの前に泣き崩れる劉氏の母親の姿が痛々しかった。
「後ろ盾」と一蓮托生
劉漢氏の名前が最初に中国メディアに登場したのは1995年2月だった。当時、上海証券取引所の相場師だった劉氏は、他の3人の若手相場師、袁宝●(=王へんに景)氏、魏東氏、周正毅氏と連携して、「327国債」という金融商品の先物の値段をつり上げてから売り抜け、巨大な利益を手にした。のちに「327国債事件」と呼ばれ、中国の証券史に残る事件となった。
その後、4人はそれぞれ四川、上海、北京、遼寧を拠点に起業し、全員がビジネスで成功を治めた。