携帯のLINE機能を通じて、友人や家族と気軽にやりとりをしていると、時折、現実の自分との人格の乖離(かいり)に気づいて、ぎょっとすることがある。
日常、相手と顔を合わせていれば、とてもじゃないが口にしないような、いたわりの言葉や褒めそやすフレーズが些細(ささい)なやりとりの間に何度も出てくる。自分をよく知る家族間での内容さえそうなるのだから、グループの人数が大所帯になるほど尚更(なおさら)だ。
飛び交う「幸せになる」言葉
しかし、どうやらそうなっているのは私だけではないらしい。実際の人柄を知っているあの人もこの人も、補整がかけられたように素直で、優しくて、いい人間になっているではないか。一体これはどうしたことか。なぜ、私たちのバラバラなはずの性格は、魔法がかかったように統一されてしまうのだろう。
小説には、ついついネガティブな人や感傷的なことを書きたくなってしまうエネルギーのようなものが存在すると思っているけれど、このLINEというのも同様に、ポジティブなことや自分の『善』の部分しか出せなくなる、なんらかの力が働いているような気がしてならない。あの爽快な青空を思わせるブルーの背景も、「いい人だよ~、お前たちはいい人だよ~」という暗示を私たち全員にかけようとしているのではないか。