2004年7月14日、吉林省長春市で人民解放軍の将兵らを励ます軍総政治部主任時代の徐才厚氏(右)。この2カ月後に制服組トップの党中央軍事委員会副主席に就いた徐氏の地方視察には特に大きく紙面を割いた「解放軍報」だったが、今や手の平返しで徐氏を蔑み、習近平指導部への忠誠をアピールしている=中国(AP)【拡大】
張万年氏の葬式には、習近平国家主席(61)をはじめ、共産党の主要指導者はほぼ全員が出席した。しかし、徐氏の場合は、家族・親戚などがほとんど連座して拘束されているため、葬儀が開かれるかどうかは今のところ不明だ。仮に認められても、出席者はほとんどいないとみられる。
自慢のOBに手の平返し
解放軍報は徐氏が死去する前に病院で治療を受けたことについても「人道上の理由から」とわざわざ説明している。「本来なれば、徐才厚には治療を受ける資格はない」と暗に言っているようだ。数ある中国のメディアの中で、解放軍報が突出して徐氏に激しい理由は、軍の機関紙であるということに加えて、解放軍報が徐氏と特別な関係にあったためでもあるようだ。1992年、地方勤務を経て中央入りした徐氏が北京で最初に就いたポストは解放軍報の社長だった。解放軍報の改革で発揮した手腕が評価され、2年後には総政治部副主任に抜擢(ばってき)された。