「EVA」の反省
ソニーは1990年代後半から、米国型の経営手法を先駆的に導入していった。社外出身者が大半を占める取締役会制度や、現場のどんぶり勘定を許さない「EVA」と呼ばれる指標を用いた利益管理が代表例だ。
だが元上席常務の蓑宮武夫氏は著書で、一連の改革を「良薬のつもりが、独創的な会社を普通にしてしまう劇薬だった」と指摘する。
パスポートサイズのビデオカメラ「CCD-TR55」などの開発を担った技術者の蓑宮氏は、目先の利益や株価が優先され、開発に10年以上費やした「CMOSイメージセンサー」のような革新的な製品が出せない構造になったと分析する。
元社外取締役の一人は「花開くか分からない技術を上司に隠れて開発するような、混沌(こんとん)としたソニーらしさを失わせてしまった」と、反省も込めて改革の行き過ぎを認める。
いわゆる「ソニー・ショック」が起きた2003年、電機事業の衰退を痛感し投資強化を訴えたが、流れは変えられなかったという。05年に米放送大手出身のハワード・ストリンガー氏(73)がトップに就き、技術者は一段のリストラの嵐に見舞われた。