「私の少女」のプロモーションで来日した韓国のチョン・ジュリ監督はSANKEI EXPRESSの取材に応じ、「最も強く描きたかったのは、ヨンナム(ペ・ドゥナ)とドヒ(キム・セロン)がそれぞれに抱える寂しさです。では、なぜ2人が寂しさを抱え込んでしまったかといえば、それは2人に加えられた暴力が寂しさを生んだのではないかと考えました」と映画化の意図を語った。
2人の寂しさは趣を異にする。肉体的な暴力を受け続け、人から愛されることを知らないまま育ったドヒの寂しさに対し、ヨンナムの寂しさは、同性愛者というアイデンティティーに向けられた激しい敵意や先入観が引き金となって生まれた内面的な暴力に起因するものだ。また、男性中心社会の警察組織で女性幹部という立場に置かれたことも、ヨンナムの寂しさを増幅するものとなった。
そんなヨンナムの苦しみを念頭に、チョン監督は社会によるレッテル貼りへの対処法について、「まずは大勢のお客さんたちに『そんな人はいないだろうか?』『見過ごされてしまっている人はいないか?』『顔を背けている人はいないか?』と、周囲を見渡してほしい」と声を大にする。