ロウソクにゆらめく顔
夜。と声に出してしまいたくなるような光景であった。家々から慌ただしく人々が出て来るということもなく、ただ静かに再び明るくなるのを待っている。大きな公園のあるその区域には、おそらく子供のいる家庭も多いはず。大人たちとどんな会話を交わしているのか。震災からの教訓でロウソクなど非常時に備えた道具を用意しているのだろうか。ロウソクを囲んで、かつて大人たちが体験した停電の思い出話が語られたのか。いやいや、こういう時は年の功。祖父母が最も冷静に対処して、戦後の貧しい時代の暗がりの生活が語られたのだろうか。あるいは大志を抱いた青年が、電気の通わない国の人々の生活に想いをはせたのであろうか。
幼い頃にはちょくちょく停電ということがあったように思う。あまり鮮明な記憶ではないが、東京の渋谷に暮らしていても、停電はやはりあった。そんな時は家族がぐっと寄り添っておしゃべりをする。ロウソクの向こうに見える家族の顔はいつもと違ってみえる。炎のゆらめきで、いつもは平坦(へいたん)な顔に強い陰影が刻まれる。ロウソクの炎にくすぐられるような気がして、私はケケケと笑う。暗闇に消えた家具やら何やらの物質たちは私たちから遠ざかり、炎に照らされた人間ばかりの世界がそこに生じる。キャンプファイアが愛される理由もきっとそこにあるのだろう。世界は眠りについて、炎の周りの者たちのみが鮮やかになる。おおいに語ろうとも、一切語らなくとも、人々の輪郭はむしろはっきりする。