特に自分の住む都市の郊外に第三国からきた人が最低レベルの生活を余儀なくされる姿を目にし、さほど遠くもない村が過疎化に苦しんでいる様子に接しやすい。
東京から2時間電車にのっても住宅街が続く風景とは違い、ヨーロッパではあらゆることがいっぺんに身近なシーンになる。そして他国の人たちとの交流が日常的にあるから、異なる文化の人たちとの付き合いの難しさも分かる。むやみにグローバルと騒がない。いわば身の程をわきまえている。
この足が地についた実践的な態度を「内向き」と称してよいものだろうか。「誠実」とさえいうべきではないかと思う。何もヨーロッパの若者の肩をもつわけではない。ただ、ローカルに目を向けることが内向的であると判断する浅い見方にため息がでる。
ぼくは20数年前、新しいコンセプトを生む現場に立ち会いたいと願った。そこでヨーロッパを生きる場として選んだ。他の地域より先端的な社会問題が浮上しやすく、時間軸を重視する地域でこそ新しい考え方が生まれやすいと考えた。そして、それはより現実的な文脈を踏まえて出てくる。
ヨーロッパでローカルコンテンツのダウンロードが増えているとの現象を、新しいコンセプト誕生の濃厚な兆しとみたい。