大規模衝突により、ウクライナはソ連崩壊後最大の危機を迎えた。親ロシア的な東部・南部と親欧米的な西部で国土と住民が二分されているこの国で、今回の事態が示したのは両者の溝の深さにほかならない。単一国家としての存在に限界が近づいているとの見方すら、現実味を増してきた。
ウクライナの政治はこの約10年間、親露派と親欧米派の間で揺れ動いた。2004年の大統領選では親露派のヤヌコビッチ首相(当時)がいったん当選するも、選挙での不正に抗議するデモが数十万人規模に拡大。続く再選挙で親欧米派のユシチェンコ政権が誕生した。この出来事は「オレンジ革命」と称される。
しかし、ユシチェンコ政権は内紛続きで経済も好転せず、10年の大統領選ではヤヌコビッチ氏が僅差で当選。政敵のティモシェンコ元首相は職権乱用罪で投獄された。そして昨年11月、欧州統合路線の棚上げで、親欧米派や民族主義勢力の怒りに火がついたのが今回の事態だ。