橋下維新“お荷物タワー”の行方 「このままでは本当に負の遺産になってしまう」 (2/6ページ)

橋下徹氏が大阪府知事時代に購入した第2庁舎「咲洲庁舎」。いまなお赤字続きの「お荷物」となっているが、橋下維新の〝象徴〟を手放すわけにはいかず、今ではホテル転用案も浮上している
橋下徹氏が大阪府知事時代に購入した第2庁舎「咲洲庁舎」。いまなお赤字続きの「お荷物」となっているが、橋下維新の〝象徴〟を手放すわけにはいかず、今ではホテル転用案も浮上している【拡大】

 大きな転換点となったのが庁舎全面移転案。20年2月に府知事に就任した橋下氏は同年8月、建物が老朽化した大手前庁舎からの移転方針を表明、21年2月には府議会に議案を提出し、理解を求めた。

 最終的に府議会は全面移転案を否決したが、第2庁舎として購入することは認め、府は22年6月に所有権を取得。同11月から移転を始めた。

 この一連の議論の過程で、最大会派の自民から移転に同意する若手が相次いで造反する事態が起こった。その中心にいたのが当時府議だった松井氏だ。

 22年4月、松井氏はほかの府議とともに新会派を結成。橋下氏を代表に迎えての大阪維新の会結成につながっていった。

 「あのビルはいわば維新のシンボルタワー。維新の代表を務める松井氏も庁舎移転を推進した手前、赤字だろうが何だろうが切るに切れないのだろう」。ある自民府議は、赤字続きでも咲洲庁舎を簡単に手放せない背景をこう分析する。

 「途中で庁舎を売却すれば、自分たちの失敗を認めることになる。松井氏から知事が代わるまで庁舎を売ることはないだろう」

 従来の政治、行政の仕組みを大きく変えるため、「大阪都構想」など独自の施策を次々と打ち出してきた橋下維新。その歩みはこの巨大ビルから始まったのだ。

「ありとあらゆる可能性を探って空室を埋め、そこに人が…」