菅直人元首相、福島原発事故の映画上映会で延々と熱弁 「あと紙一重で私も皆さんも…」 (2/6ページ)

菅直人元首相(斎藤良雄撮影)
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 しかし、一方で、確かに危ないのだから、逃げてもらいたいのだが、原発というのは、普通の爆薬の工場の、化学工場の大きな火事(とは異なる。化学工場ならば)、いくら大きくても逃げている間に、3日か1週間か、よほど長くても10日か20日燃えていれば、燃えるものが尽きてしまう。また、火が収まったところで戻ってくればいいのだが、原発だけはそれがきかない。

 つまりは、原発の中にはウラン燃料と同時にウランから生まれたプルトニウムが入っている。それが高い放射線量があって、その放射線量が低くなるのは、どのくらい待てばいいのか。半分のレベルになるのに2万4千年かかる。

 事実上、一旦避難したら、もう一回戻ろうと思えば、最初のときよりも、もっと厳しい状態で戻らないといけない。そういうことを私自身知っていたものだから、東電の方からそういう話があったときに、「とにかくぎりぎりまで頑張ってくれ」と。とにかくぎりぎり頑張ってもらわないと、日本がおかしくなってしまう。

 この映画の中でもそういうことを三田村邦彦さんが私の役で言ってくれているが、まさにそんな状況だった。そんな意味で、それだけこの事故がシリアスだった。

 ほんとあと紙一重、紙一重広がっていたなら、この場所に私もみなさんもいることができなかった。そんな事故であったことをこの映画で、読み取っていただければと思っている。

 自分の性格は、割とものごとを割り切って考える方だから、今言ったように、最初に全電源が喪失したと、冷却機能が停止したという報告が来た段階で、「これはメルトダウンになるんじゃないか」ということを思い、そこから思い立ったのが、さきほどのチェルノブイリだった。

 実は3月15日、朝4時半ごろだったか、東電に私自身が行って、社長だけじゃなくて会長とか、いろんな人たちがいる前で、社長に言ったのと同じことを言った。「とにかく、ぎりぎりまで頑張ってくれ」と。同時に社長も会長も、もう60を過ぎている。私も60を過ぎていたから、「60過ぎている自分たち、あるいは社長、会長の世代がまず率先して現場に行って、そして自分たちも頑張るから、若い人も大変だけども、頑張ってくれ」と、そういうことをぜひ言って、頑張ってほしいということを、これは実際に言った。

あと1つだけ申し上げると、原発事故が起きたときの責任体制というのは…