□鈴木マグラクレン美保
英語が話せる人と話せない人の最も大きな違いは、英語習得の過程で、間違えてきた回数である。
私には小学5年生の娘がいる。日本生まれの日本育ちで、父親がカナダ人。日本語と英語を話すバイリンガルだ。娘の育つ過程を観察していると気づくことがある。英語でも日本語でも、とにかく間違いを恐れない。ある日、仕事で結果を出せるかどうか心配していたら「ママはできることはやったんだから。後は『神のみそ汁』だよ!」と勇気づけてくれた。「神のみそ汁?」そう、「神のみぞ知る」と言いたかったのだ。
娘に限らず、英語が話せる友人を見て思うのは、英語力向上の度合いは間違えた回数に比例することだ。間違いは、数ある正解にたどり着くまでの試みに過ぎない。その過程の中で英語力は向上していく。
「英語が話せるようになったら、○○したい」という人がいる。話せるようになるのを待っていたら、いつまでたっても間違える経験を積むことができない。話せるようにもならない。学校で英語を学んだときを思い起こしてみると、文末にピリオドを付け忘れて、減点されたことを思い出す。学校では、とにかく間違えないようにがんばってきた。間違えは怖いという思いさえある。だから「間違ってもいいんだよ」と言われても一筋縄ではいかない。日々、間違える練習をすることが必要だ。