
和装振興議員連盟のメンバーとして和服で国会に登院した豊田真由子衆院議員=平成26年1月24日(酒巻俊介撮影)【拡大】
しかし、豊田氏が永田町で一躍有名となったのは、26年4月の園遊会での問題行動だった。本来は入場が認められない母親を、本来の入場予定者である「配偶者」と言い張り、警備との押し問答の末に入場した。宮内庁が衆院にルールの周知徹底を求める事態となった。
「上にへつらい、下に厳しい」(自民党若手議員)と、サラリーマン社会なら最も忌み嫌われるたぐいの評判は、永田町で早くから広がっていた。自民党の閣僚経験者は「秘書がしょっちゅう入れ替わる議員は信用できない」と断罪するが、豊田事務所によると「アルバイトも含め100人は辞めた」という。
週刊誌報道とは別の元秘書によると、地元の会合で秘書に不手際があったことを理由に衆人環視のもと土下座を強いたことがあった。衆院の委員会が開かれている中、議員席付近で秘書を怒鳴りつける姿が目撃されたこともある。理由は、指示になかった印刷物を持参しなかったという理不尽なものだった。政務官時代には、秘書官の交代を求め、「やり過ぎだ」と担当閣僚に叱責されて涙したこともあるという。
別の元秘書は「秘書に電話で別の秘書をしかるよう命じ、豊田氏が横で録音していることもあった。家族を殺し合わせる洗脳現場のようだった。秘書をしかるときのパターンは、前職を持ち出して『あなたの評判は聞いている。使えないから辞めさせられたんでしょ。ここ以外、行くところはない』と言って追い詰める。『自分がしたことは必ず返ってくる』『悪事は絶対にバレる』が口癖だった」と証言した。民進党も真っ青のブーメラン発言といえよう。