
村の中を走る乗用トラクター。運転しているのは、件の水道料金徴収権を落札した大農アウンセイン氏の息子=2017年8月、マグエー郡カンターレー村(筆者撮影)【拡大】
1994年当時、明かりの供給源は蝋燭(ろうそく)と灯油ランプと車のバッテリーだったが、2014年に村に電気が来た。というよりも、村人が自分たちの力で引いてきた。昨今、ミャンマー国中で流行(はや)りの「コー・トゥー・コー・タ」すなわち自力更生である。村は電力委員会を作り、180世帯から26万8000チャット(1チャットは約0.1円)ずつ集め、約5000万チャットの費用を賄った。各戸はさらにメーター取付けに12万チャット、家に引き込む電線代に11万チャットを負担した。大卒公務員の初任給が8万チャット程度のところ、各世帯は50万チャットも支出したのである。しかし、残りの100世帯あまりはこれらの費用を用立てることができず、当然今も電気が来ていない。「村の電化」と個人のそれは異なる次元の問題、というのは村内の経済格差が大きいミャンマーの村々ではよくみられる現象である。
ドライゾーンの村々では、生きるためには電気よりも水の確保が重要である。この村には1981年に国連開発計画(UNDP)のプロジェクトの一環として井戸が掘られ、ディーゼルエンジンのポンプが導入されて、村人は遠くの池まで水汲(く)みに行く必要がなくなった。水料金を水委員会が徴収し、施設の管理に充てることにした。だが、このポンプ場から家まで水を運ぶには大きなドラム缶やそれを載せる牛車や手押し車が必要だった。これを購入できない世帯は、小さなバケツで何度も水を運ぶかドラム缶の所有者から水を買うしかなかった。また、94年には存在した水委員会は名目的なものになり、井戸とポンプの管理や水料金の徴収はこの権利を落札した個人に任された。