日本政府による輸出管理厳格化ではデモと不買運動で激烈な反応を示すにもかかわらず、中国の高圧的な命令には従順に従うあたり「韓国の自尊心」に疑問がわくが、歴史を振り返ればこの中韓関係は異常ではない。
対中姿勢
かつて豊臣秀吉が西国の大名を集め中国の明(みん)征服のため朝鮮半島へ出兵した文禄・慶長の役(1592~98)で、李氏朝鮮は滅亡の危機を明の出兵で救われた。明はこの戦役で経済が衰退し清に滅ぼされるのだが、この際に清を北方の蛮族と見下し、清の出兵命令を無視して明についた朝鮮は、1636年に清の軍勢に攻められわずか45日で全面降伏した(丙子の乱)。
降伏の条約は交渉場所の名をとり「三田渡の盟約」と呼ばれる。条約の内容は、「朝鮮は清に臣下の礼を尽くすこと」に始まり、朝鮮王の長男を人質として差し出すなど厳しいものだ。中国の官吏が朝鮮を訪れる際は、朝鮮の王が国境で出迎え、起立状態から土下座して額を地面に三回打ち付けて立ち上がる、これを三度繰り返させる「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼」を義務とするなど、事あるごとに属国であることを思い知らせる内容だった。
この「無慈悲な中国」と「へりくだる朝鮮」の関係は戦後も同様だ。朝鮮戦争(1950~53)では義勇軍として参戦した中国人民解放軍に首都で攻防戦を展開、廃墟にされたのをはじめ数十万の戦死者を出しているにもかかわらず、中国に賠償を求めていない。韓国と戦争をしていない日本にさまざまな賠償を求める姿勢とはずいぶん相違がある。
経済と軍事の両面で強力な大国となった中国に対し、米国から最新鋭戦闘機を導入するなどして自立の姿勢を堅持する台湾や、逃亡犯条例改正などの中国政府の強硬姿勢に対し粘り強くデモを続ける香港に比べ、独立国でありながら中国の指示に従う韓国。「自由主義陣営」の一員でいられる時間は、長くないのかもしれない。