「拉致問題解決は一刻を争う日本の国家の問題だ」
東京・永田町の議員会館で9日、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で5日に亡くなった拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんの妻・早紀江さん(84)、双子の息子、拓也さん(51)と哲也さん(51)が行った記者会見の主な質疑応答は次の通り。
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--早紀江さんに。滋さんと一緒に40年以上戦ってきたが、最期にかけた言葉は
早紀江さん まだ耳は聞こえていたので、お父さん、今までは大丈夫だと言い続けてきたが、天国に行けるんだからね、と言いました。懐かしい方がみんな待っててくれるんだよ、気持ちよく眠ってください、私が行くときは待っててね、と言ったら、すっと涙を流したようで。すっと眠るように。
哲也さん 最後の瞬間、その後に右目の内側に一粒の涙がありました。母の声が聞こえていたのではと。
--滋さんはどのような旦那さん、お父さんでしたか
早紀江さん ぼくとつで器用ではなかったが、全身全霊打ち込んでものすごい頑張り屋の人だった。病床でもいたいと言わなかった。病院でもいい笑顔だねといわれ、大事にしてもらったこと感謝申し上げます。
子供が大好きで、国内旅行が多かったが、いつも子供と国内いろんなところを旅行し、いろんな写真があり、本当にいいお父さんだった。自分が倒れるまでは、ちょっとでも私がマッサージして、毎日通って、頭とかも血流をよくしてやってあげたのが良かった。それができれば何もしてあげられなかったかもしれないが、一番いい形で見れて感謝しています。
拓也さん 正直者で、真面目で、優しくて、でもとても強い大人であり、父親でした。
一度、まだ金正恩委員長の前の金正日がですね、リーダーであったころに、両親の家の中で話をしていたときに、それはお酒を飲みながらの会話でしたけども、ここでは具体的な言葉は控えますが、私は子供としてですね、金正日が許せないと、こうしてこうしてボコボコにしてやりたいといったようなことを父にお酒を飲みながら話をしたことがあるんです。珍しく父はその時、「そんなものでは済まされない」と言ったことがありました。
普段、皆さま方の前でそういうことを決して口にしないし、怒りの表情を見せない父は、きっと私たち以上の何倍も何十倍も実は怒りにきていて、頭にきていて、でもそれを皆さんにそれとなく伝えて、姉の救出を最優先するために、いつも戦ってきていたんだろうと思います。とても強い父親であったというふうに思っています。
哲也さん 私もイメージは、ひと言でいえば救出活動で、皆さまのほとんど総意だと思いますけども、やはりニコニコ笑顔なので、やっぱり笑っている印象が強く優しい人だなっていうのが思い浮かびます。
また家庭にとっては当然どこの家庭でもそうですけども、私と兄が、父と意見が違って感情的になったときにも、父は怒らずにあえて笑って話題を変えて、絶対衝突しないようにしようっていうような場面が何度も何度もありました。なので、こういう活動の中でもそういうことがあったのかもしれませんけども、そういう優しい人だったんじゃないかなっていうのがまずあります。
父は非常にお酒が好だったけれども、2年2カ月前に入院して食べることもできず、飲むことも全くできず、そして病気の影響で思うことがあまり伝えられないって非常に苦しい環境にあったわけですけども、最後の最後に亡くなってからではありますけれども、好きなお酒と、ちょっとでも接してあげられないかと思ってですね棺の中にちょっとしたちっちゃいものですけども、日本酒を入れさせてもらったんです。少しでも飲めなかった思いは同じでありますけれども、かなっていればいいなっていうのが今の思いです。