SankeiBiz for mobile

【九州の礎を築いた群像 JR九州編(1)】「ななつ星in九州」前編 「鉄道そのものが観光になるんだ」唐池社長、四半世紀の夢

ニュースカテゴリ:企業の経営

【九州の礎を築いた群像 JR九州編(1)】「ななつ星in九州」前編 「鉄道そのものが観光になるんだ」唐池社長、四半世紀の夢

更新

初公開された「ななつ星in九州」の車両前で記者会見に応じる水戸岡鋭治氏(左)と唐池恒二氏。2人の思いが結実した=平成24年9月13日、小倉総合車両センター(安部光翁撮影)  平成22年の1月だったか、2月だったか。工業デザイナー、水戸岡鋭治(66)=ドーンデザイン研究所代表=はよく覚えていない。

 九州旅客鉄道本社(JR九州、福岡市博多区)の社長室をぶらりと訪ねたところ、第4代社長の唐池恒二(60)は、いつものように、にこやかに席を勧めた。ふと真顔になり、こう切り出した。

 「水戸岡さん、実は九州を一周する豪華寝台列車の旅行を考えているんです。面白いと思うんですが、どうでしょうかね?」

 水戸岡は即答した。

 「やめてくださいよ。冷静に考えて、もうかるわけないじゃないですか。予算も時間もかかるし…。どう考えても今の時代ではできませんよ」

 だが、唐池の表情は真剣そのものだった。水戸岡がのぞき込むように「本気ですか?」と念を押すと、唐池は深くうなずいた。

 水戸岡は内心飛び上がらんほどうれしかった。JR九州のほぼすべての車両デザインを手がけてきた水戸岡は、豪華寝台列車こそが「将来の鉄道のあるべき姿だ」とかねて思っており、その企画・設計を夢に見ていたからだ。

 だが、唐池に進言した通り、採算を考えると割に合わない。決して経営が楽ではないJR九州がまさかその夢を叶(かな)えてくれるとは-。水戸岡はこう言った。

 「じゃあ、やりましょう。誰もが驚くような豪華寝台列車を一緒に作りましょう!」

 この瞬間、「ななつ星in九州」のプロジェクトは動き出した。

   × × ×

 唐池に構想を持ちかけられて1週間足らず。水戸岡は豪華寝台列車のデッサンを描き、唐池の元に持参した。これには訳があった。

 唐池は、用意周到に物事を進める人物にみえるが、鉄道にロマンを追い求める少年のような一面もある。その壮大な夢に社員はついてきてくれるのか。唐池一人が会社で浮き上がってしまわないか。もし失敗したら…。そう危惧した水戸岡は「唐池さんと社員の“隙間”を埋めなければならない。デザイナーである私が具体的なデッサンを描くことこそが“隙間”を埋める早道じゃないか」と考えたのだ。

 持参したデッサンは、完成したななつ星の車両に限りなく近い出来映えだった。その後も水戸岡は、節目節目で外装や内装などさまざまなデッサンを示し、唐池と社員の隙間を埋め続けた。

   × × ×

 唐池も、唐突にななつ星を思いついたわけではない。20年以上も温めてきた構想だった。

 国鉄が民営化し、JR九州が発足したのは昭和62年。その後、数年間は日本中はバブル景気に沸いた。博多・中洲のクラブやラウンジでもドンペリが次々に開けられた。そんな喧噪(けんそう)の中、唐池は知人にこう言われた。

 「九州を一周する豪華寝台列車を走らせたら、当たると思いますよ」

 この知人は、列車で古本を売る「古本市列車」などユニークなアイデアを、30代半ばだった唐池に授けてくれた人物だった。頼りにしてはいたが、豪華寝台列車はさすがに無理だと思った。経済性やスピードが何より重視された時代。ゆっくりのんびりと列車で巡る旅が、人々を魅了するとは思えなかったのだ。

 そのころ、JR九州の初代社長、石井幸孝(81)は、赤字ローカル線に観光客を呼び込む起爆剤にしようと、観光列車に力を入れていた。第一弾は平成元年に導入した「ゆふいんの森」(博多-由布院-別府)だった。水戸岡がデザインした眺めのよいハイデッカー構造の車両はバブル景気と相まって好評を博し、由布院ブームを巻き起こした。

 唐池は「ゆふいんの森」プロジェクトに営業本部販売課副長として参画した。そこで学んだのは「鉄道は単なる移動手段ではない。乗車そのものが観光目的になる」ということだった。

 JR九州はその後も「はやとの風」(平成16年導入、鹿児島中央-吉松間)、「海幸山幸」(21年導入、宮崎-南郷間)など観光列車で次々にヒットを飛ばした。沿線では、自治体や住民がさまざまな観光事業や街おこしに乗りだした。

 「観光列車が地域の街おこしの役に立つのか。列車もそうして育つんだ」

 唐池には新鮮な驚きがあった。そして21年6月、社長に就任した唐池の脳裏に、四半世紀前の知人の言葉が蘇った。

 「豪華寝台列車が九州を一周するようになれば、どれだけ多くの人々が喜び、街が輝くだろうか…」

  ×  ×  ×

 水戸岡が最初のデッサンを持ち込んだ直後。唐池は、営業部販売1課副課長の仲義雄(38)=現クルーズトレイン本部次長=を社長室に呼び出した。

 「九州一周の豪華寝台列車を作る。先頭に立ってやってくれ!」

 当時の社内は平成23年3月の九州新幹線全線開業を控え、多忙を極めていた。九州新幹線こそが、JR九州の悲願であり、社運をかけた大プロジェクトだったからだ。

 仲もオープニングセレモニーを担当しており、休日返上の日々が続いていた。「豪華寝台列車ってブルートレインのことか? この忙しい最中に、一体何を言い出すんだ…」。仲には唐池の思いが理解できなかった。おそらく社内全体がそんな思いだったに違いない。ただ一人唐池を除いて…。

  ×  ×  ×

 だが、唐池は社内の冷ややかな空気など気にも留めず、豪華寝台列車の実現に邁進(まいしん)した。

 平成22年5月、唐池は、運輸部長の古宮洋二(51)=現取締役総務部長=とともに韓国に渡った。韓国鉄道公社が運行する豪華寝台列車「ヘラン(太陽)号」に乗るためだった。

 「客船タイタニックのような豪華クルーズを鉄道で楽しめる」という触れ込みで2008年11月に導入されたヘラン号は、客室にベッドやトイレ、テレビが備えられ、豪華な食堂車や展望車も連結している。ソウルを起点に、1泊2日~2泊3日で韓国全土を巡り、車内では乗務員によるフルート演奏やマジックショーも催される。

 唐池がヘラン号に乗ったのは、そのノウハウを学ぶためだけではなかった。

 豪華寝台列車を実現するには経営陣による幹部会議で、了承を取り付けなければならない。密かに試算したところ、豪華寝台列車への投資額は30億円。これに対して年間売上高は5億円に満たない。

 「相当な覚悟で臨まないと潰されるな…」

 そう思った唐池だからこそ、古宮を同行させたのだ。社内の誰よりも車両や運行ダイヤに詳しい古宮は「運輸事業として成り立たない」と、反対の急先鋒になることが予想された。だが、味方にすればこれほど心強い男はいない。

 唐池は、ヘラン号に乗車した夜、車内バーに古宮を誘った。月明かりにうっすら照らされた車窓を眺めながら、他の乗客は静かにワインを楽しんでいた。唐池は狭い車内で古宮と膝をつき合わせた。

 「これからの鉄道は単なる移動手段ではなくなる。鉄道そのものが観光目的となり、街作りの核になるんだ。そんな観光列車を作りたい。手間をかければお客さまは来てくれる。手間こそが感動を呼ぶんだ…」

 確かに、1泊2日で15万円という高価な旅にもかかわらずヘラン号は中高年夫婦で満員だった。古宮はこう言った。

 「ようするに、乗車率を上げる努力をすればよいのですね…」

 唐池はこの言葉に深くうなずき、1カ月後、古宮を営業部長に据えた。ななつ星プロジェクトの中核部隊だ。直後に開かれた幹部会議では、古宮が「レールクルーズプロジェクト」(仮称)を発表した。

 そして「きちんとコストを精査したのか」などと古宮に一番厳しく詰め寄ったのは、唐池だった。

 九州新幹線の全線開業を無事に果たした2カ月後の23年5月、JR九州は豪華寝台列車実現に向け、本格的に動き出した。唐池は、部局横断で精鋭30人を集めた「レールクルーズ創造委員会」を発足させた。

 だが、本当の生みの苦しみはここからだった。

(敬称略)

ランキング