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【浜松物語】オルガンからピアノ、半導体まで自社製造 「素人ゆえの新発想」…中田卓也ヤマハ社長(中)

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【浜松物語】オルガンからピアノ、半導体まで自社製造 「素人ゆえの新発想」…中田卓也ヤマハ社長(中)

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PCやスマートフォン、タブレット、ビデオ会議システムなどと自在に接続できるマイクスピーカーシステム「YVC-1000」  □【浜松物語 「やらまいか」精神を訪ねて】(7)素人ゆえの新発想を生かす ~中田卓也ヤマハ社長(中)

 --1887年に日本で初めてオルガンの製作を手がけ、1900年にピアノの製造を開始し、2017年に創業130周年を迎える

 「創業者の山葉寅楠(とらくす)の父は、紀州(現在の和歌山県)藩士で天文係を務めていた。寅楠は長崎で技術を学び、医療機器の修理を手がけるようになり、浜松の病院も訪れている。そこで技術を見込まれ、浜松尋常小学校からオルガンの修理を依頼された。その修理に成功したことがきっかけで、寅楠はオルガンの製作を決意し、1889年に当社の前身である山葉風琴製造所を設立した」

 --当時は日本の音楽教育の草創期。小学校で唱歌教育が必須になったため、同校は高価なオルガンをいち早く輸入した

 「大枚をはたいて購入したオルガンの修理を、どこの馬の骨ともわからない人物にやらせてみようとか、(見たこともないオルガンという楽器の修理を)やってみようというところに、『進取の精神』が現れている。寅楠は『オルガンの値段が高くて皆が困っているのなら、それを作って普及させれば、日本の音楽のレベルを向上させることができる』という大きな志を抱いたのだと思う」

 --その後、金管、木管を含めてあらゆる楽器を手がけた

 「西洋音楽を日本に根付かせたいという思いがあった。当時、西洋の楽器は舶来品だったため、日本の音楽のレベルを向上させるために、すべての楽器を作ろうとしたのだろう」

 --楽器製造には人の感覚やノウハウに頼るアナログ的な部分もあるのではないか

 「浜松にはもともと技術があり、(そういう部分を追求していく)職人かたぎを持った人が数多くいたことが大きい」

 --創業以来、伝わるスピリットにはどんなものがあるか

 「当社は1971年に半導体の製造を開始した。良い音を出せる半導体がなかったため、自分たちで作ってしまおうと考えた。東北大学の西澤潤一名誉教授の教えを受けながら、素人集団がゼロから手がけ、音源用LSI(大規模集積回路)を作り上げている。また、世界に先駆けてミキサーのデジタル化を進めてきた中で、デジタルミキサーに特化したDSP(デジタルシグナルプロセッサ)も内製している。多くの事業をほとんど素人の状態から始めたが、素人であるがゆえに、新しい発想を生かしたり、他の人がやらないことを手がけたりして成功した例が少なからずある。それが大きな強みになった」

 --一度決めたことを最後までやり遂げる「執着」を、行動指針の一つに挙げた理由は

 「ヤマハ社員は皆がWill(志)を持っているが、『執着』の部分が不足していると感じた。同様に今、浜松の人々が『やらまいか』と言わなければならなくなるほど『やらまいか精神』が弱くなっている。だが浜松の人々が皆で『やらまいか』と言い合っていけば、もともとDNAとして持っている『やらまいか精神』が目覚め、浜松がもっと強くなるという思いがある」

▽【浜松物語】「東京よりも海外がよく見える。ハンディはない」…中田卓也ヤマハ社長(上)

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