□浜松物語「やらまいか」精神を訪ねて~中田卓也ヤマハ社長(上)
--浜松でなぜピアノや軽自動車、オートバイを始めとするパイオニア企業が数多く生まれたのか
「一般的には『やらまいか(やってみよう)精神』ということになるが、その根底には土地柄がある。旧浜松藩は5万石程度の小藩で、藩主も頻繁に交代した。安定しないがゆえに『自分たちがしっかりしなければ生きていけない』という気持ちが強く、それが『やらまいか精神』を形作ったのではないか」
--地場産業の存在も大きい
「浜松は綿花の一大産地で綿織物が盛んだったので、織機などの機械を作る職人が数多くいた。鍛冶屋でも指物師でもいいのだが、技術のある職人たちの間に、新しいものを作り出そうという機運が高まっていて、西洋文化が入ってきたことをきっかけに『これなら自分にもできる』とさまざまな製品作りに取り組んだ。『あの人にできるなら自分にもできるはずだ』とか、『浜松で一旗揚げよう』という人も現れ、連鎖反応のように数多くの企業が生まれたのだろう」