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「NTT再編の基本方針」は反故 淘汰の波にのまれた新電電
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2006年3月、ボーダフォン買収会見で、握手するビル・モロー・ボーダフォン日本法人社長(左)、孫正義・ソフトバンク社長(中)ら
「会社を何だと思っているのか」
1996年秋、総務庁(現総務省)の行政改革委員会規制緩和小委員会に怒声が響いた。委員の田中直毅(69)が発した「新電電の役割は終わった」という言葉に、国際通信系新電電の日本国際通信(ITJ)幹部がかみついたのだ。
85年のNTT民営化後、相次いで誕生した新電電各社の長距離・国際電話サービスにより電話料金は下がった。苦しい経営が続くITJには田中の無神経な発言は看過できなかった。
ITJは三菱商事など大手総合商社と松下電器産業(現パナソニック)、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)など7社が主要株主となり、86年に発足した。ITJに続いて伊藤忠商事・英C&W連合の国際デジタル通信(IDC)も国際通信市場参入を表明した。
ただ、85年度の通信市場の規模は、国内通信のNTTが5兆1000億円なのに対し、国際通信のKDD(現KDDI)は2200億円とわずか5%足らず。郵政省(現総務省)はITJやIDCに一本化を促したが、外圧も強まり調整は失敗。KDDを含む国際系新電電3社は、小さな市場を奪い合い、競争激化による淘汰(とうた)の波にのみ込まれた。
田中発言から1年後の97年、ITJは日本テレコムに吸収され、わずか10年で消滅した。
2002年5月、世界携帯大手の英ボーダフォン傘下の持ち株会社、日本テレコムホールディングス発足が決まった。社長のビル・モロー(55)は部下に「シャンパンを買ってきてほしい」と頼んだ。普段は物静かなモローだが、この日はうれしそうに高級シャンパンを飲み干したという。
表向きはグループの新体制を祝っての乾杯だったが、モローの表情には本社からの指示を達成した高揚感が見てとれた。日本テレコム幹部は、苦々しい気持ちをかみ殺していた。
同社役員だった弓削(現真木)哲也(63)=現移動通信基盤整備協会専務理事=によると、ボーダフォン社長に昇格して英国に戻る際、モローは「私の使命は日本テレコムと(子会社の携帯電話事業者)J-フォンを切り離すことだった」と打ち明けたという。
ボーダフォンは念願の携帯電話事業だけを手に入れた。固定通信事業者の日本テレコムはその後、米投資ファンドのリップルウッドを経て、ソフトバンクに買収された。J-フォンを手に入れ社名変更したボーダフォン日本法人も、不振が続いた。
06年、ソフトバンクの孫正義(57)は、ボーダフォン日本法人を1兆7500億円で買収し、携帯電話市場に参入した。ソフトバンクは今年4月1日付で、固定電話や携帯電話、インターネット接続などの子会社を統合し、総合通信事業者ソフトバンクモバイルに衣替えした。
現在、ソフトバンク広報室の松葉和子は、ITJが国際通信サービスを開始した1989年に同社に入社した。その後、事業再編の中で4回のM&A(企業の合併・買収)を経験し「あまりにめまぐるしかった」と漏らす。
通信市場は自由化後、新規参入と淘汰を繰り返し、現在はNTT、ソフトバンク、KDDIの3グループに集約された。総務審議官の桜井俊(61)は「淘汰が進んだのは言い換えれば、競争がうまく機能したからだ」という。
海外でも、米AT&Tや英BTの分割による競争促進や新規参入企業との合従連衡がなされた。再編・統合の道をたどっているのは日米欧とも同じだ。
ただ、日本では郵政省が97年に発表した「NTT再編の基本方針」で、NTT東日本と西日本の相互競争が盛り込まれたものの、NTTはほとんど無視してきた。KDDI社長の小野寺正(67)=現会長=は、NTT再編の見直し論議が始まった2000年、「NTT東日本との合併も可能だ」と発言した。だが、NTT東西地域会社は外に目を向かず、内向きの共通化の模索にとどまっている。
30年間、日本が再編論議を繰り返す間に、グローバル競争の主戦場はネットワークから「サービス」に変わった。野村総合研究所主席コンサルタントの桑津浩太郎(53)は「日本の光回線敷設は欧米より8年以上先を走っている。だが、政策は欧米と違い変えにくい。競争政策はサービスを前提に変えないともたない状況だ」と警鐘を鳴らす。(敬称略、年齢は現在)