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幼い子供でもドナーに 弟から骨髄移植受けた女子中学生 夢は「看護師」

ニュースカテゴリ:暮らしの健康

幼い子供でもドナーに 弟から骨髄移植受けた女子中学生 夢は「看護師」

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「将来は看護師になりたい」と話す栄田咲さん=大阪府守口市  「骨髄移植で救える命があることを知ってほしい」-。当時4歳だった弟から骨髄移植を受け、難病を克服した大阪府守口市の中学1年、栄(えい)田(だ)咲(さき)さん(12)が、家族ぐるみで骨髄バンクへの理解を訴える慈善活動に取り組んでいる。移植から3年、活動開始から2年が経過。周囲からも温かい支援を受け、すっかり健康を取り戻した咲さんは「弟のように小さな子供でもドナー(骨髄提供者)になれることを伝えたい」と呼びかけている。(上岡由美)

 4歳の弟がドナーに

 咲さんが病魔に襲われたのは平成22年6月、小学3年のときだった。なかなか熱が下がらず、かかりつけの小児科へ行くと、すぐに医師から大きな病院に行くよう勧められた。

 すぐにタクシーで病院に向かい、あらゆる検査を受けた。最初は風邪ぐらいに思っていたが、約1カ月後、病名は「再生不良性貧血」と判明した。血液をつくる骨髄の働きが衰え、赤血球、白血球、血小板のすべてが減少する重症貧血だ。

 「先生から血液が機能していない難病だといわれ、頭の中が真っ白になりました。症状は熱が下がらないだけだったのですが、言われてみれば、少し前から鼻血が出ると1時間ぐらい止まらなかったり、青痣(あざ)がなかなか消えなかったりと、兆候はありましたね」と母親の慶子さん(38)は振り返る。

 治療方針を決めるため、すぐに入院。それから厳しい闘病生活が始まった。

 血液難病の治療には、骨髄移植が有効とされ、それには患者とドナーの免疫組織「HLA(ヒト白血球抗原)」の型が適合しなければならない。その確率は兄弟姉妹の間も4分の1、血のつながらない他人の場合は数百~数万分の1と極端に低くなる。

 検査の結果、幸い当時4歳だった弟の快君と適合。咲さんは飛び跳ねて喜び、慶子さんも「これで生きられる」と胸をなでおろした。

 ただ、「こんな幼い子がドナーになっても大丈夫なのか」と少し不安にもなったが、主治医から「体重によって骨髄液の採れる量が決まるので、1歳でもドナーになれる」と説明され、安心したという。

 難病を克服して

 骨髄移植を受けたのは、発病から1年後の23年7月。咲さんは抗がん剤の副作用で頭髪が抜け、激しい頭痛に悩まされた。

 めったに泣いたり弱音を吐いたりしない咲さんだったが、「頭が割れる」とベッドの上で転げ回る姿に、慶子さんも胸を痛めた。

 苦しい治療を乗り越え、同年11月に退院したが、その後も大変だった。

 「黴(ばい)菌(きん)が入りやすい食べ物には火を通さないといけないし、果物も皮をむいたものしか食べられない。イチゴの粒もダメなんです」と慶子さん。細かい制約が多く、給食も咲さんだけ別のものが用意された。

 慈善活動を開始

 「いつか支えてくれた人たちにお礼がしたい」と考えていた咲さんは、移植から1年後、NPO法人「関西骨髄バンク推進協会」(大阪市東成区)に、「新しく生まれかわった命。この奇跡の幸せを一人でも多くの人に味わってほしい」と申し出て、24年5月から慈善活動を始めた。チャリティー会場で募金活動をしたり、チラシを配ったりして、骨髄バンクへの協力を呼びかけている。

 骨髄バンクとは、同じHLAの型の人を見つけやすいように情報を蓄積し、患者との適合者をつなげる活動。

 「日本骨髄バンク」によると、8月末現在、骨髄提供者として国内で44万6454人が登録しており、骨髄バンクを通じて移植を受けた人は、これまでに1万7312人。しかし、今も2691人の患者が移植を待っているという。

 協会によると、咲さんの弟のように幼い子供がドナーとなるのは決して珍しいケースではないが、一方で、幼い子供がドナーになれることを知らない人も多く、まだまだ普及啓発が必要という。

 協会の担当者は「患者が子供で、兄弟姉妹から骨髄提供を受ける場合、ドナーの年齢が低くなるケースがあります。咲さんと快君を通じて命のつながりを実感しています。もっと若い人にも骨髄バンクのことを知ってもらいたい」と話す。

 将来の夢は看護師

 咲さんの慈善活動の場は広がり、大阪プロレスの試合会場でも月1回、骨髄バンクのチラシを配るようになった。

 移植から2年目を迎えた25年夏。その会場で、レスラーらがリングで「咲ちゃん、2周年おめでとう」と突然、お祝いの言葉をかけてくれた。

 事前に何も知らされていなかった咲さんはびっくり。リングに上がって花束を贈られ、客席からも温かい拍手を浴びた。

 おとなしい性格の咲さんだが、「最初は人前で大きな声を出すのが恥ずかしかったけど、『僕も(骨髄バンクに)登録するよ』と言ってもらえたときはうれしかった」とはにかんだように笑う。

 今年春、咲さんは中学生となり、クラブ活動は吹奏楽部に所属。3年前に骨髄移植を受けたとは思えないほど元気になった。主治医も「柔道をしても大丈夫やから安心して」と太鼓判を押している。

 海に入ることも許可され、今年7月、天橋立海水浴場(京都府宮津市)へ遊びに行った。

 現地には、小学3年生のときの担任だった原至(のり)生(お)さんが、ライフセーバーのボランティアのため滞在していた。原さんは、咲さんの骨髄移植から3周年を記念したセレモニーを計画。「3」と書いたケーキとプレゼントを用意し、咲さんを喜ばせた。

 たくさんの人に温かく見守られて成長する咲さん。将来の夢は「看護師」といい、「病気で苦しんでいる人の役に立ちたい」と話している。

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