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経済
北海道にも? 海女の北限を追う
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青森の海にも海女がいた? NHK連続テレビ小説「あまちゃん」でおなじみになった岩手県久慈(くじ)市の「北限の海女」。最も北で活動する海女を指すが、かつてはさらに北で多くの海女が活躍していたといわれる。あまちゃんはどこまで北の海に潜ったのか、北限の地を追った。
「1960年代中ごろには海女がいた」。久慈市から北に約30キロの青森県階上(はしかみ)町。階上漁業協同組合の荒谷正寿組合長(59)は力説する。当時の海女は農業と兼業で、夏季に2、3人がウニなどを採っていたという。
隣接する八戸(はちのへ)市でも活動していたとの情報がある。「50年代、海女がアワビを採り、買い取っていた人がいるのを覚えている」と八戸市の漁協関係者は話す。
しかし公式の記録では、存在はあいまいだ。水産庁が78年に自治体や漁協に聞き取りを行った調査では、青森県に海女は確認されていない。一方、海の博物館(三重県鳥羽(とば)市)の記録では、75年に30人の海女がいたとされるが、場所などの詳細は分かっていない。
海の博物館によると、75年ごろには、久慈とほぼ同緯度の日本海側、秋田県男鹿(おが)半島に海女がいたとの記録がある。
さらに階上町や八戸市には、海女がいたことをうかがわせる伝統的な職業も残る。男性が素潜りでウニなどを採る「海士」、男性版の海女だ。
八戸市の海士は昭和初期、スキー用ゴーグルを楕円形にしたような特注の「一つ眼鏡」を着用して潜ったのが特徴で、今でも、少数が年に数回活動する。八戸市博物館の古里淳学芸員(53)は「素潜り漁は体力を使うので次第に海女が消え、海士が残ったのだろう」という。
海女が生業となりうるかは岩場にウニやアワビなどの獲物が十分にあるかどうか、漁場の要因が大きい。海の博物館の石原義剛館長(76)は「漁業規模が小さく、夏場の生計を補う必要があった場所では条件さえあえば海女がいたと思われる」とし、かつては東北地方北部にも多くの海女がいた可能性があるとする。
実際、現在も久慈以北で活動する海女はいる。北海道松前(まつまえ)町の石山ヨネ子さん(79)だ。もともと海女がいなかった町に戦後、石川県輪島から出稼ぎで来て、そのまま住み着いた特殊な例だ。沖合の無人島に渡って潜るが、後継者はおらず1人で続けている。
一方、青森、秋田両県ではもはや海女は確認できない。階上漁協の荒谷組合長は「後継者不足で次第に消えていったのだろう」と指摘する。
では久慈の海女だけがなぜ、まとまった形で残ったのか。市の担当者は「海女文化を広く伝えるための観光海女として成功した」と強調する。「北限の海女」の愛称についても、59年の同名のラジオドラマを挙げ、「北限を調査しているわけではなく、いつの間にか定着した」と説明する。(SANKEI EXPRESS)