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科学
【タイガ-生命の森へ-】猟師歴50年 「私が捕ったの」
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クラスヌィ・ヤール村は、シホテアリン山脈から流れるビキン川沿いの最上流の村だ。
人口はウデヘ族やナナイ族を中心に約700人。周囲にはウスリータイガと呼ばれる密林や湿地が広がる。絶滅が危惧されるアムールトラやオオカミのほか、ヒグマ、ツキノワグマ、カワウソやクロテンが生息し、食料となるイノシシやアカシカなど哺乳類が豊富だ。無数の支流と膨大な倒木を抱いて流れる川では、イトウやコクチマス、カワヒメマスがよく捕れる。
そんなタイガの入口の村には、今も狩猟を生活の軸にしたタフで個性的な猟師が暮らしている。中でも印象的なのが、女性猟師のナジェジダだった。7年前、初めてビキン川を旅した時、当時86歳の彼女の家を訪ねた。
「夫に先立たれてから、もう50年もタイガで狩りをしてきたわ」。木枠のガラス窓から差し込む陽光が柔和な笑顔を照らし、骨太の手に刻まれた深い皺(しわ)が森で生き抜いた長い年月を語っていた。
クロテンを捕る網。すり減ったナイフや手製の鞘。皮用の太い縫い針。彼女が出してきた道具のどれもが体温さえあるような存在感を放っていた。そんな道具を手に訥々(とつとつ)と語られるタイガの話に、僕はどれだけ引き込まれただろう。
10人もの子供を授かり、そして5人を病気で失ったこと。真冬のタイガで狩りをしている最中トラに遭(あ)い、とっさに逃げた話。その時、急斜面を転がってケガをした足が今もまだ痛むこと-。彼女の言葉には、タイガを吹く風と森の匂いがした。
一日ではとても話を聞き足りなくて、村祭りの日にまた家を訪ねた。ハラートと呼ばれるウデヘの晴れ着を着たナジェジダは、真っ黒い動物の毛皮を見せてくれた。
「ツキノワグマよ。私が捕ったの」。僕が驚くと、遊びにきていた近所のおじさんが後ろでほほえむ。民族衣装こそアムール川流域ならではのものだが、2人はまるで僕の近所にもいそうな風貌で、一瞬、昔の北海道にタイムスリップしたような錯覚に陥った。花に囲まれた板張りの母屋のたたずまい。そして野の生きものとの近さ。ナジェジダの家の玄関に流れる空気が、僕にはたまらなく懐かしかった。
残念ながら彼女は数年前に他界し、もう村で会うことはできない。だが僕はタイガを旅していると、今もナジェジダの言葉をふと思い出す。木々や川の流れ、夕暮れの光の中に彼女の姿を重ねている。
≪匂い、音、光… 郷愁誘う黄昏の川≫
最初の旅で一緒にタイガへ入ったワーニャはまだ線が細くあどけない顔をしていた。今や筋骨隆々として頼もしい若手猟師の筆頭株だ。先輩猟師が集まるといつもおちょくられ、何かと仕事を振られる。だが脇で見ていると彼が次の世代の猟師として、どれだけ頼りにされているかわかる。この秋の旅でも、彼が川で撃ったツキノワグマを先輩に指示されつつ、てきぱき解体していた。世代の違う猟師が同じ川で働く風景はいいものだ。そんな彼が上流への旅に同行してくれると、僕はいつも安心してタイガに入っていける。
秋の夕暮れ、ワーニャが船縁に腰掛け、タイガに沈む夕日を見ていた。
刻々と色を変えてゆく空が川面(かわも)に映り、水に揺れる。そろそろ竿(さお)をたたんで狩小屋へ帰る時間だ。その時、子供の頃に過ごした川辺の匂いと黄昏を僕はまざまざと思い出した。匂い、音、光。そして自然の中で過ごした時間。誰もがそんな形にならない記憶を胸の奥に抱き、それが今を生きる支えになっているのではないだろうか。
川とは不思議なもの。流れ去ってゆくものと再び流れてくるものが、いつも目の前にある。ビキンへの旅を繰り返すたび、僕は川や森への愛着が増し、北海道へ帰ってからも、日々を大事に過ごしたいと思うようになった。(写真・文:写真家 伊藤健次/SANKEI EXPRESS)