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クリスマスの楽しみ方を一番知っている男 チャールズ・ディケンズの『クリスマス・カロル』の方へ 松岡正剛
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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影) 昭和20年代の京都に育った者には、クリスマスはピンとこなかった。華やかでもない。僅(わず)かにイヴの夜に、サンタクロース役の母が枕元にリボン付きで置いてくれる包み紙の中の本に、目がさめたとたんに出会えることだけが夢見心地になるくらいだった。
ディケンズの『クリスマス・カロル』では、イヴの夜に頑固で強欲でひねくれ者のスクルージの前に現れるのは、亡霊である。かつての相棒マーレイの亡霊だ。亡霊は「あんたの鎖は俺のものより重い」と言って、今夜は3人の精霊がやってくるよと言い残す。案の定、過去・現在・未来のクリスマス霊がやってきた。
最初にやってきたのは、幼くも老成した顔のスクルージだった。けれどもどこか初心(うぶ)で、ああ、自分はあんな「すれ違い」で人生をこんな冷酷な方に進ませたのかと思えた。次に、冠とローブを纏(まと)ったやたらに長身のスクルージが出現した。この男はスクルージをロンドンのいろんな場所に案内し、なんだか懐かしいけれど、貧困や病気で困ってもいた連中と出会わせた。
うとうとしていたスクルージが目を覚ますと、そこには真っ黒な布に身を包んで青白い手を差しのべる不気味な男が立っていた、ところがこの男には実体がない。どうやら死んだ男がいるらしいのだが、それが誰だかわからない。
スクルージは犯罪者や日雇い女や幼くして死んだ少年のあいだをさまよいながら、最後に荒れ果てた墓にやってきた。そこには自分の名前が刻んであった。スクルージは激しい衝撃に襲われ、夜明けを迎えた。
この話は、スクルージがそれまでの自分の悪態いっさいを一夜にして愕然と感知して、その後はティム少年の仮の父となり、ついには「ロンドンで一番クリスマスの楽しみ方を知っている人」と言われましたとさ、でおわる。クリスマス・イヴにふさわしい超名作だ。
ご存知、ディケンズのクリスマス・イヴの驚くべき物語。強欲で冷酷な守銭奴のスクルージが、自分の過去・現在・未来を現出させるクリスマス・スピリット(精霊)に出会って、一夜のうちに全人生を振り返りつつ、目覚めていく。一度読んだらゼッタイに忘れられない。もし読んでいないなら、諸君はこのまま人生をムダにすると覚悟したほうがいい。ぼくはサンタクロースの母に『二都物語』を贈られ、しばらくたってこの本を読んだ。
クリスマスは「クリストのミサ」の意味。もともとクリスマスは「降誕」を記念する日であって、イエスの誕生日ではなかった。それが12月25日のイエス生誕に結び付けられたのは、実にさまざまにシナリオを複合化したキリスト教の戦略があった。しかしいったん確立したクリスマス信仰はしだいに世界を席巻していった。著者の若林さんは宮城出身のドイツ文化研究者で、多くのクリスマスものを書き、癌で亡くなる直前にも『名作に描かれたクリスマス』を遺した。
北フランスの小さな町の司祭だった聖ニコラウスは、迷子の子や放浪する子を家に送り届けたりしていた。そのニコラウスを偲(しの)ぶ子供のための祭りが催された。ここに、幼子イエスの生誕の物語が重なって、いつしかクリスマス・イヴに子供にプレゼントを配るサンタクロースの誕生となった。これはひとつの仮説だ。実際には、世界中のサンタクロース伝説が各地で名前を変えて散らばっている。
ディケンズの名作の多くには、父親の愛情を受けられなかったディケンズ自身の少年期が原像になっている。なかでも『オリヴァ・ツウィスト』は救貧院で暮らす孤児が、窃盗団に巻き込まれつつ艱難と窮地をくぐり抜けていくという物語で、倦きさせない。2005年、ロマン・ポランスキーがみごとな映画にした。ぼくは子供時代の『二都物語』から最近読んだ『骨董屋』まで、ずっとディケンズのファンだ。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)