ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
スポーツ
新球習得で進化した上原投手 大屋博行
更新
ワールドシリーズ優勝のトロフィーを手にするレッドソックスの上原浩治投手=2013年10月30日、米マサチューセッツ州ボストン(リョウ薮下撮影)
米大リーグ、レッドソックスの6年ぶりのワールドシリーズ制覇。胴上げ投手として歓喜の真ん中にいたのは、上原浩治投手だった。大学卒業後に一時はメジャー挑戦を志望した右腕が15年後にかなえたドリームでもあった。
1998年、大阪体育大時代の上原投手はまさに時の人だった。大学3年時に、強力打線を誇るキューバ代表の国際大会での連勝を151で止めるなど、当時は横浜高校の松坂大輔投手と並ぶアマチュア球界ナンバーワン投手。本人のメジャー志向が強かったこともあり、日米の球団がこぞって争奪戦を繰り広げた。
この年は、私もダイヤモンドバックスのスカウトに就任したばかり。拠点にしている大阪の選手ということもあり、獲得調査に乗り出した。しかし、争奪戦は熾烈(しれつ)を極め、日米の有力チームによる「囲い込み」に近い状況にあり、私は接触することすらできず、悔しい思いをしたのを覚えている。
上原投手は最終的に巨人を逆指名した。入団1年目から20勝を挙げる活躍で新人王だけでなく、日本球界の投手にとって最大の栄誉でもある沢村賞にも選出された。
当時の上原投手の優れた点をひと言でいえば、腕の振りがコンパクトで、球に縦の角度があることだった。このため、スピードガンで表示される球速以上に打者の体感速度は速く、振り遅れが目立った。加えて、縦に鋭く沈み込むフォークボールもコントロール抜群。日米球団のスカウトたちが獲得に血道を上げた実力を証明してみせた。
巨人逆指名の後、実は関係者に「撤回できないのか」と漏らしたと聞く。夢の封印は一時的なものでしかなく、巨人入団後もメジャーへの思いは断ち切れていなかったのだろう。日米野球やワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で本場の野球に触れ、巨人時代にもメジャー挑戦を直訴していたのは印象的だった。
ただ、巨人はポスティングシステム(入札制度)での移籍を認めず、海外フリーエージェント(FA)権を行使できるまで10年待つことになった。
上原投手はこの間、次第に股関節や膝といった下半身の故障が目立つようになった。巨人時代の最後の2、3年は直球の切れも確実に落ちていた。
そんな中で、2009年にメジャーへ移籍した。大学時代から注目していた私にとっては、上原選手の衰えが余計に目についてしまったのかもしれない。ダイヤモンドバックスから移ったブレーブスのスカウトとして獲得調査をしたものの、「是が非でも契約したいレベル選手ではない」という評価だった。
オリオールズが獲得に手を挙げたものの、移籍1年目は2勝4敗で防御率4.05。正直に打ち明ければ、「もう限界ではないか」とすら思った。
だが、窮地を脱する力こそが一流と呼ばれる選手の真骨頂と思わされたのが、彼のその後の復活劇だった。
下半身だけでなく、肘にも故障の不安があって先発はあきらめたようだが、中継ぎとして輝きを取り戻していった。オリオールズで、そして11年途中に移籍したレンジャーズでセットアッパーとして活躍。レッドソックスに移籍した今季は、シーズン中盤からはクローザーに定着した。
復活のかぎとなった打者の手元で落ちるフォークボールを駆使して打者を警戒させ、球筋のきれいなフォーシームと呼ばれる直球とのコンビネーションで抑えていった。だが、実はそれだけではない。メジャーで「ワイドツーシーム」と呼ばれる右打者の内角に沈みながら食い込む球種を多様していた。
通常のツーシームよりも人さし指と中指の間を広くあけることで、球速が下がる分、落差は大きくなる。配球面でも、フォークと似た使い方ができる。右打者はもちろん、左打者の外角からボールゾーンに逃げるコースに投げる制球力があるため、空振りが奪える。
上原投手がシーズン中にフォークの種類を使い分けていたといわれていたのは、おそらくこのワイドツーシームのことだろう。巨人時代になかった握りで、渡米後に習得したとみられる。メジャーで成功するには、日本時代からの何かしらの「進化」が必要であり、ワイドツーシームこそが、上原投手が米国で見せた進化だった。(アトランタ・ブレーブスの国際スカウト駐日担当 大屋博行/SANKEI EXPRESS)