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【続・灰色の記憶覚書】年末私を襲った縁起の悪い足音のこと 長塚圭史

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【続・灰色の記憶覚書】年末私を襲った縁起の悪い足音のこと 長塚圭史

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足音はどこにでもある。そう、あなたの近所にもざるっちぇは現れるかもしれないのだ(長塚圭史さん撮影)  大みそかだったかまだ30日だったか、とにかく午後に買い物を終えて川沿いを歩いていると、後ろから、ざるっちぇざるっちぇ、という凄まじい音が近づくでも遠ざかるでもなくついてくる。この不愉快極まるざるっちぇ音は恐らくは何者かの足音であろう、何とも言えぬ負の気配を同時に漂わせて来る。さりげなく振り返って見やると、案の定、20代前半くらいであろうか青年が、目線をぐっと落とし、トレパンにサンダル姿で、どういう風に擦ればアスファルトからそこまで不快な音を捻り出せるのだろうと感心するほど神経を逆撫でするざるっちぇを大音量で響かせている。

 後ろでずっと、ざるっちぇ

 買い込んだ手荷物もそれなりにあることだし、少し歩調を緩めてこのざるっちぇをやり過ごそうと試みるのだけれど、それが極めて難しい。こちらが歩調を緩めると、ざるっちぇも歩調を緩めるのか、距離が多少縮まった程度で抜きさってくれない。当然ざるっちぇの足元が奏でる、ざるっちぇざるっちぇざるっちぇ、は更に悪質に耳元に響き、それどころか、ざるううっちぇえええ、ざるううっちぇえええ、と粘り気を増してくる。

 明らかにこのざるっちぇ音は気持ちよく年越しを迎えたいと願う市民に対する暴力であり、ざるっちぇ通るところは、いかに晴天であっても忽(たちま)ち日陰となり、草花はざるっちぇ同様頭を垂れ、不幸の腐臭が漂い始める筈(はず)だ。そんなざるっちぇを背後に抱えてしまった私は、歩を緩めるという作戦の失敗により明らかに動転し、次の手を打てぬまま、ざるっちぇと極めて近い距離を保ったまま、僅(わず)か数メートル歩いただけなのかもわからぬが、巨大な蟻地獄に足を滑らせたような心地でいた。

 さっさと歩調を速めてしまえずにいるのは、一度歩調を緩める作戦に出てしまったため、すぐさま早足に切り替えては、ざるっちぇの気分を害してしまうのではないかという余計な想像力が働いてしまったからで、しかし何故そんなざるっちぇの気分まで想像してしまったかというと、そのざるっちぇな歩みは再三再四著しているよう、明らかに異様であり、それは公共の道を歩くのに絶対的に相応(ふさわ)しくない不快音で、極めて意図的に立てているという可能性、つまり住宅街の長閑(のどか)な年越しを破壊する決意のようなものを抱いている可能性も充分にあり、帰ってビールでも飲むかねえ、なんてへらへらと気持ち良さそうに買い物袋を下げている私の後ろ姿に対して殺意を抱いている可能性もこれまた充分にあり、私が歩を速めたと同時にざるっちぇも同様にペースを合わせてくるかもしれないと考えただけで大変恐ろしいことだと思い、決断出来ずにいたのだ。

 勿論そういった外界との接触を断つ手段として、サンダルでもって、ざるっちぇざるっちぇと呪文を唱え、自己の世界に完全に没頭しているという可能性も高い。この場合は私が歩を緩めようが速めようが、ざるっちぇにとっては全くどうでもいいことなので大変に安全である。しかしそうと決め切れない、つまり社会とは完全にオサラバしきれていない未練のようなものが、ざるっちぇの足元から全身にかけて煙のように漂っており、やっぱりこの、ざるううっちぇえええ、は怨念としか思えず、私も弱ってしまったのである。

 慎重に大胆に歩を更に緩め

 しかしこのままでは、ざるっちぇ音が鼓膜にべっとりこびりつき、紅白歌合戦も全部ざるっちぇな耳鳴りとなり、除夜の鐘さえ更に粘り気のある百八度の、ざるううっちぇえええ、になりかねない。それでは私の年末は台無しであるばかりでなく2014年も丸ごと縁起が悪くなる。縁起が悪いなんてことは、舞台に携わる私にしてみると「演技が悪い」ような響きを持つので、決してあってはならないことであり、何としてもこの縁起の悪いざるっちぇから身を遠ざけねばならない。

 ここで私は更に歩を緩めるという新案を思いつき、慎重に、しかしあまり時間はかけたくないのでそれなりに大胆に歩を更に緩め、また更に更に緩めた。すると身の毛もよだつざるっちぇの音が一段と大きく大きく響いたかと思うと、私の横をこの世の終わりのような表情で、やっぱり地面をじっとりと見つめながら、至近距離で見てもどうやって奏でているかわからないアスファルトの蹴り方で、ざるううっちぇええ、ざるううっちぇえええ、と通り越して行った。足音ひとつで拷問のようになるものなのだなあと感心しつつ、足早に脇道へと逃げ込んだのでした。(演出家 長塚圭史、写真も/SANKEI EXPRESS (動画))

 ■ながつか・けいし 1975年5月9日、東京生まれ。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成。ロンドン留学を経て、新プロジェクト「葛河思潮社」を立ち上げた。昨年12月に上演した「マクベス」(長塚圭史演出)が2月15日午後8時30分から、WOWOWライブにて放送予定。

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