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【大相撲春場所】初優勝、横綱昇進確実 鶴竜、素直さと向上心で一気突破
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初優勝を果たして横綱昇進を確実にし、優勝パレードで万歳をしながら笑顔をみせる大関鶴竜(かくりゅう、中央)。左は十両で初優勝した元小結の豊真将(ほうましょう)=2014年3月23日夜、大阪市浪速区(山田耕一撮影) 大相撲の東大関鶴竜(28)=本名・マンガラジャラブ・アナンダ、モンゴル出身、井筒部屋=は3月23日、大阪市のボディメーカーコロシアムで行われた春場所千秋楽で大関琴奨菊を寄り切り、14勝1敗で初優勝を果たすとともに第71代横綱への昇進を確実にした。
鶴竜は先場所、14勝1敗で並んだ横綱白鵬に優勝決定戦で敗れたが、今場所前に日本相撲協会の北の湖理事長(元横綱)や横綱審議委員会(横審)が「13勝以上の優勝」と明示していた昇進の目安をクリアした。24日の横審を経て、26日の夏場所番付編成会議と理事会で正式に昇進が決まる。
新横綱の誕生は2012年九州場所の日馬富士以来で、モンゴル出身力士の横綱昇進は朝青龍、白鵬、日馬富士に続いて4人連続となる。
≪鶴竜、素直さと向上心で一気突破≫
満員御礼の垂れ幕が下がる盛況ぶりの中、鶴竜が琴奨菊に寄り切りで勝つと、館内は割れんばかりの拍手と大歓声に包まれた。場内には「鶴竜関」と書かれた手作りの横断幕が掲げられ、優勝が決まると立ち上がって喜ぶファンも。優勝後の土俵下でのインタビューで鶴竜は落ち着いた様子で「最後まで自分の相撲を取りきることだけを考え、それができて良かった」と笑顔を見せた。
太い眉に切れ長の目。ふっくらとした唇も特徴的だ。一見無表情で愛想がなさそうに映るが、心根の優しい“お相撲さん”だ。
横綱昇進に挑戦したのは今場所が初めてだった。周囲の期待を考えると、大きな重圧がかかって当たり前。でもこの人は違った。
調整に励んでいた初日の数日前。朝稽古後、見物に来た近くの幼稚園児に自ら歩み寄った。何十人もが大きな手を触ったり、太い足を触ったり。その間ずっとにこにこしていた。
相撲への思いは熱い。モンゴルにいた頃、知人の協力を借り、日本語で入門を直訴する手紙をつづり、顔写真を貼り付けて日本相撲協会と相撲雑誌の編集部に送った。まだ15歳だった。
「もし私を受け入れてくれる部屋がありましたら、その方々の期待に応えるべく頑張りたい」
願いかなって、憧れの寺尾(現錣山(しころやま)親方)がいる井筒部屋(いづつべや)に入門。夢見た角界だ。思いを込めて文字にした初心を忘れるはずがなかった。
苦手の生魚を克服し、丼飯は3杯も4杯もかきこんだ。初土俵を踏んだ頃82キロだった体は、今では154キロに。子供向けのひらがな練習帳で言葉を勉強していた少年は、いつしか日本のお笑いテレビ番組で“ツボ”がわかる大人に育った。
同じ井筒部屋に所属し、昨年(2013年)定年退職した第36代木村庄之助(きむら・しょうのすけ)の山崎敏広氏(65)には忘れられない思い出がある。
幕下に昇進した2004(平成16)年秋場所で、鶴竜は1勝6敗と大きく負け越した。翌日からは1週間の稽古休みとなる千秋楽の夜。涙を流してしょんぼりする姿を見て、「明日も四股(しこ)を踏むくらいだったら怒られないよ」と耳打ちした。
すると、翌朝の稽古場には一人四股を踏んで汗だくになる鶴竜の姿があった。
人の助言を素直に受け入れ、ついに最高位昇進を引き寄せた今の姿に山崎氏は目を細める。「続けてやってきたことが花開くときが来たのだろう」
穏やかな性格とは裏腹に、向上心は強い。相撲教習所に通っていた新弟子時代、準備体操で国技館を走る際、毎日先頭を走っていた姿を同期生は覚えている。
「太っているからみんな走るのは嫌なもの。でも彼はまじめで、誰に言われるでもなく、ひたむきに走っていた」と証言する。
穏やかな性格だけは変わらず、ファンへの丁寧な対応はもちろん、綱取りに挑む春場所中には連日稽古場に殺到した報道陣にも嫌な顔一つ見せなかった。「みなさんも仕事だから。何も(情報が)とれなかったらね」と気遣う余裕すらあった。その素直な心と平常心がワンチャンスでの綱取りに結びついた。(SANKEI EXPRESS)